『天皇』や『軍』の『思い』を勝手に忖度した村人達が『的外れな犯人探し』を行い、そこに同調圧力が駆動して誰も主体的に責任を持たない暴徒達が『罪無き者』を排除する図式は今も昔もそう変わらないとこの映画は教えてくれる。
排除の対象となる『罪無き者』に対し『彼は悪くない』と擁護できるのは権力を持たない子供達だけなのだが、彼らも事件を通して他の者と変わらない『村の一員』となってゆく…
それが日本の『通過儀礼』なのだという絶望的なお話でした
終戦を迎えて村人達が『天皇陛下がポツダム宣言ちゅうのを受け入れられた!』と、それまでに行った蛮行の数々をすべてもみ消そうと村人同士が口裏を合わせて証拠の隠滅を計る様が本当に醜悪、昭和30年代にはそういう愛国の名の元に差別を行ってきた人間が終戦後にコロっと態度を変える人間が多くいたのだろう、この作品はそういう人間に対する怒りが満ちていると感じる。