自らの原案を自らの製作会社Amblin Entertainmentで製作したSteven Spielberg presents家内制手工業作品。
脚本はアンブリンの座付き作家であるChris Columbus。
監督はRichard Donner。
フラテリ一家の長男を救うべく、刑務所の外でガソリンか灯油か分からんがフラテリ一家の次男が液体を撒く。
そこへ首を吊って自殺していると見せて、油断して近づいた刑務官を襲い脱獄してくる長男。
オイオイ…ここの刑務所のガードはどうなってんだ?ゲージは一重なのかよ?ふつうは何段階か関所のようにあるよね?これでは1人倒せばいいだけなので、誰でも脱獄し放題だと思うのだが…
さらに刑務所の目の前に堂々と車を横付けしてる者に対して、刑務官側が誰も目もくれないのはどういう了見なんだろう?
そしてフラテリ一家たちと長男が合流すると、次男は先程撒いた液体に拳銃を発砲。
すると、勢いよく火が燃え立つのだが…
銃口から発射された弾丸は燃えてるわけじゃないから、引火性の液体に発砲しても引火しないんじゃない?
どこかに海賊の財宝が眠っているという大きな嘘は問題ないのだが、こういういい加減で小さな嘘は、やめたほうがいい。その積み重ねにより、この世界そのものから逸脱してしまうことになる。
臨時に雇った家政婦のロザリータと帰宅するマイキーとブランドのママ。
立ち退きの荷造りのお手伝いのために雇ったのだが英語は全く話せずスペイン語のみのロザリータ。
たまたま家にいたマウスが通訳をするのだが…マウスのあべこべ通訳で笑いを誘ってるのかもしれないのだが…
会話の成立しない家政婦を雇うのに契約をどのように成立させたんですか?
労働条件、労働時間、時間給なのか日給なのか?いくら払うのか?諸々の契約を英語の通じない相手と、どのように取り決めたの?
これらを通訳してくれた人が契約の時にはいたってこと?
では、マウスが家にいなかった場合はママは、どのように荷造りの説明をするつもりでいたのか?
ひと通りマウスのインチキ通訳が終わると、ママはスーパーに…ロザリータと一緒に。
え?何しに来たの?ふつうスーパー寄ってから帰るだろ?これじゃ二度手間。なんのために一度帰って来たのか全く理解できない。整合性などは関係なく、とにかく作者の都合だけで展開されていく。
キャラクターの出入りは慎重にすべきと思うが、かなりいい加減でテンポ重視な感がある。スピード感で駆け抜けてしまえば気にならないとも云えるが…
その点を誤魔化そうと作為的にやってるようには感じない。
そもそも金がなくて立ち退きされてしまうんじゃないの?なぜその状況で家政婦が雇えるの?そんな身分じゃないんじゃない?
どうなってるの?
岬のレストランでは暖房下の地下にみんなで逃げようとしてるところ、チャンクは冷蔵庫の死体と格闘して逃げ遅れる。
チャンクの不在に気づいたみんなはチャンクに対して警察に連絡しろ!と…え?なぜ?
そこの窓から外へ行けと!酷な指示。え?そこに窓があったのなら、暖房の地下よりもなぜ先にその窓へ逃げなかった?
もちろん、このあとの展開を動かすための所作なのだが…あまりにも都合がいい。
ということで、ここから更なるツッコミを入れても仕方がないので、童心にかえるべく楽しむことに徹する。
スーパーマンTシャツを着たスロース。
"スロースのS"
というセリフと共にスーパーマンのイントロが一瞬流れる。ここだけは笑ってしまった。あと"チャンク船長"だとイキってるチャンクもかわいらしい。
立ち退きを防ぐべく子供が苦心して宝探しに…その宝石を目当てに立ち退きの署名をせずに済んで大喜びの両親。
いや…なんか違くね?そういうことじゃない気がするけど…ハッピーエンドな感じにしてるけど。
スピルバーグ
「続編については何度も話をしてきたんだ。2、3年に1度はアイデアを思いついても、それが実現しない。理由は1作目以降、みんなでこのジャンルのクオリティのハードルを上げてきたことで、80年代に作った『グーニーズ』よりも優れたアイデアをまだ見つけられていないからなんだ。見つかるまで、みんなであと100回はこの映画を観ることになるだろうね」
自意識過剰。
まぁこれもスピルバーグだから言えることなのか…実績が尋常じゃないから。
これまでに100回は見てます!と豪語している人が身近にいるが…
もう自分には、そんな童心がなくなってしまったのか…どうでもいいツッコミばかりしかできないイヤな大人になってしまったのか…
とにかく働くオッサンには、子供の夢のようなおとぎ話には何にもときめかない。