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純白の夜のotomisanのレビュー・感想・評価

純白の夜(1951年製作の映画)
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 木暮美千代のツラが愛だか恋だか抑圧気味な性欲絡みな不満だか知れんが、紳士の前で上流の体裁を取り繕う下での複雑な心理描写のためにブヨブヨするのが気持ち悪い。さらに、それに負けない年増ぶりが三島原作の読者、「婦人公論」の購読者を恐怖せしめたろう。ついでに、この相方を務めたのがヌルっとした河津(夫)、すけこまし信(ホンのおいた)、凡庸な森(横恋慕)の初老トリオ(平均寿命は当時60前後)である。
 進駐軍が絶対無害なうすのろ連中を集めろとでも命じたのか勝手に忖度したか知りたくもないが、なんにせよ(木暮)の自死が厄払いなら何故(森)が道連れでないのか女卑な下心とみな不快を覚えたに違いない。
 というのが表の感想なら、その裏でどことなく気持ち悪いもの見たさをくすぐるのもこの映画のいやらしいところだ。(木暮)の妹と売れない台本家(佐田)とのならぬ仲を泥沼中年のさっぱり煮えない様に叩きつけるのがいつになるやら肩透かし食わす辺りも悪どくて、監督の大庭が「オオバカヤロウ」の短縮形かとは信じたくはないが、冒頭10分フィルムが行方不明とあって、頭を切り取られるとはどんな呪いが掛かっているやら、これほど怖い事もあるまい。
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