アニマル泉

淑女は何を忘れたかのアニマル泉のレビュー・感想・評価

淑女は何を忘れたか(1937年製作の映画)
5.0
TIFF/NFAJクラシックス 小津安二郎監督週間
後期の小津は男3人が縁談の世話をするパターンが多いが本作はマダム三人 、麹町の時子(栗島すみ子)、牛込の千代子(飯田蝶子)、御殿山の光子(吉川満子)と大阪から来たじゃじゃ馬娘・節子(桑野通子)が活躍する。男は頼りなく女が強い。大学教授ドクトル小宮(斉藤達夫)は妻・時子の尻にひかれ、大学助手の岡田(佐野周二)は富夫(突貫小僧)に算数を教わる始末だ。節子は煙草を吸い、酒好き、関西弁で思ったことは言うし実行するという小津好みの自由奔放なキャラクターだ。子供たちとも対等に遊び、回る地球儀の地名を目隠しで当てるゲームは「北極」と答えるのが可笑しい。桑野通子が好演している。
和と洋の対比が強調される。洋装、帽子、西洋建築と着物、和室。小津の特徴は画面にいくつものフレームが重なる多層構図だ。ドクトルの家の一階は縦廊下で手前の部屋、中の部屋、奥の玄関が重なる。これがマスターショットになっているが、クライマックスでドクトルと節子が帰ってきて時子と対峙する場面はドンデン返しになり、奥から障子のガラス枠越しのショットになり、手前の玄関から奥の間へ入っていくドクトルと節子の後ろ姿になるのが面白い。後期の小津では消滅する「階段」もまだ普通に画面に描かれる。ただし「階段」の上り下りが描かれると不吉だ。時子が階段を上がり下りするとドクトルと節子がいなくなり、ドクトルが階段を上がると節子が待っていて問い詰められる。
和室は女たちの場所である。3人の有閑マダムは着物だ。しかし節子だけは洋装で出入りする。片や二階のドクトルの書斎は洋室である。ドクトルと節子は洋服だ。そこへ着物姿の時子が来ると事態は緊迫する。クライマックスは一階の和室で洋服のドクトルが着物の時子を引っ叩く。それぞれ和と洋に二分されて、ホームとアウェイでスリリングにドラマが高まっていく。本作のラストはドクトルが着物になり、一階の和室で時子と休戦になるのは必然だろう。そしてあのエンディングだ。小津にしては珍しい性的な場面だ。時子がドクトルのそばに座り、ドクトルの煙草を吸い、ホコリをつまみ、新聞を取り上げて、「コーヒーでも淹れましょうか」「うん、今から飲んで寝られるかな」「寝られるわよ」お手伝いにもう休むように言う時子、ギョッとするドクトル、縦廊下の部屋が前後で灯りが消えていく。ルビッチばりの淫らさだ。
本作ではローアングルのスタイルも完成されている。同方向を向いてズレて並行に座る小津独特のショット、「東京物語」で笠智衆と東山千栄子が何回も繰り返した構図が本作ではラストの時子とドクトルの座りツーショットで明示されている。
ドクトルの嘘がバレるきっかけは「雨」だ。小津の「雨」は珍しい。不吉な予感を呼び修羅場になる。本作でも「雨」が降ったために、時子に嘘をついてゴルフに行かなかったことがバレてしまう。「雨」が窓外で降り、部屋でメザシを焼きながら飯を食うドクトルと岡田が珍妙だ。そもそもはアリバイ工作でゴルフ場から時子宛の手紙を託したのが、「雨」やら節子の介入やら予想外の展開で岡田まで巻き込んでしまう大騒動に発展していく。この混乱ぶりが素晴らしい。まさにルビッチタッチだ。
白黒スタンダード 茂原式トーキー。
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