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娘・妻・母のodyssのレビュー・感想・評価

娘・妻・母(1960年製作の映画)
3.5
【少子化問題、または団令子讃(その2)】

昭和30年代の山の手中流家庭が、金銭問題から崩壊の危機に瀕する物語です。
といっても成瀬巳喜男の映画ですから、描き方はあくまで穏やかで、淡々としています。

一家の構成は、老母が三益愛子、出戻り(夫の死により)の長女が原節子、都内で姑(杉村春子)と同居して結婚生活を送っている次女が草笛光子(その夫は小泉博)、独身で勤めている三女が団令子、長男で老母と同居しているのが森雅之、その妻が高峰秀子、息子ひとりあり。次男が宝田明で、都内で年上妻(淡路恵子)とアパート暮らし。

こうしてみると、あることに気づきます。つまり三益愛子には二男三女があるのに、そしてそのうち四人は結婚しているのに、孫はひとりしかいないということです。長女(原節子)は子供のないまま夫に事故死されて婚家から帰されてきます。長男は老母と同居しているけれど、子供はひとりしかいない。次女も次男も結婚はしているのに、子供はいない。残るは独身である三女の団令子だけ、ということになる。

もちろんこれは映画の話ではありますが、少子化がすでに東京では始まっていたという暗示になっている、そう今日からは考えられます。

私的な話で恐縮ですが、私は地方都市の某企業の社宅で小学校時代を過ごしました(昭和30年代後半)。ときどき東京本社から転勤してくる人がいて、私と同年齢の男の子がいると遊び友だちになるわけですが、そうして友だちになった二人は、いずれも一人っ子でした。ひとりはやがて父が東京勤務に復帰して姿を消し、もうひとりは高校卒業まで地方都市にとどまりました。もともと地方都市に勤務している家庭では、一人っ子というのはいなかったので、東京では子供はひとりしか作らないのかな、と子供心に思ったものです。

映画に話を戻すと、これは「女が階段を上る時」でも書いたことですが、私の目には原節子より草笛光子より、団令子がチャーミングに見える。当時は「面長」が美人の代名詞とされていたからでしょう、作中でも長女と次女は美人なのに三女だけは・・・というセリフがあるのですが、私に言わせればとんでもない話で、原節子より草笛光子より、断然団令子ですね!
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