B姐さん

娘・妻・母のB姐さんのネタバレレビュー・内容・結末

娘・妻・母(1960年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

※ちょっと自分用に整理してみる。

『東京物語』と同じように「家族制度」の崩壊を描いた作品だが、本編は「金絡み」で一見つながりが強い家族が、バラバラになるという物語だ。というか元々バラバラな家族が資本主義社会の中で、実像が露見するものだ。

ここでは「金」は紙幣とかの「モノ」ではなく、「時代」またはそれらを背景とした「価値観」といった抽象的なものとして表現される。だから「金」自体は美術小道具として映画の中には一切登場せず、つねに登場人物間で交わされる会話の中だけに登場する。その代わり「ケーキ」「キャラメル」「せんべい」「還暦の祝い品」「ミニカー」などの「モノ」たちは贈与するもの、共有するものとして登場する。
冒頭の「金利商品」から「香典代」「借金」、「遺産相続」と、「金」のはなしは絶えず人物間で交わされていて、それが家族間での価値観、心の有り様の違いを顕然化させる。

ざっくり言うと、家族は「時代」で分断されている。

「日本家屋」には老母と共に、長男夫婦、三女が住んでいる。そこへ夫に先たたれた長女(原節子)がやってくる。母親と長女は「前近代」に生きている。それを象徴するようにいつも「着物」を着ている。それ以外の長男夫婦とその子供、次男夫婦、次女、三女は「近代」に生きていて、全員「洋服」を着ている。長男は長女より年が上なのに「近代」に生きているのは、男という生物は「社会的動物」で、いつも「時代」というものに晒されているからだ(もちろん今は男だけではないが)。だから男は「スーツ」を着て、洒落た「バー」で「若い女」と浮気をしていたりする(ちなみに長男は40代、長女は30半ば、次男、次女、三女は20代設定)。

面白いのは、「家」にやってきた(入った)長男の嫁(高峰秀子)と「よその家」にいる嫁に出た次女(草笛光子)の立ち位置だ。優しい義母の世話をしている長男嫁は、姑である義母寄りの位置にいるのに対し、口うるさい姑のところに嫁いだ次女は(当然)旦那寄りだ。そして出戻りの長女と「帰るところがない」と言う長男嫁は、着ているものは違うが立ち位置がすごく近い。 

長女は嫁いだ先が「金持ち」で、夫の両親から番頭、女中たちまでいる「旧家」から受けいられなかったというエピソードが出てくるが、これは「前近代」に受け入れられなかったということだろう(“みそ汁”や“風呂桶”の話)。

そんな原節子扮する長女にもロマンスがある。ある日、三女の誘いでぶどう園に遊びに行った際、案内役である醸造技師の黒木という仲代達矢扮する少し“古風”な「若者」と軽い会話をする。デートを重ねるうちに惹かれていき、二男(宝田明)の小綺麗な「マンション」でキスをする。キスする前、黒木(仲代)との二人きりの雰囲気に恥ずかしくなり、その場を誤摩化すように「あら、“電気掃除機”があるわ!」とわざとらしくはしゃぎ、二人の間に“線を引く”ように、おどけながら転がしたりする。

しかし長男(森雅之)の「金絡み」の問題が起き、抵当で家を売らなくてはならない状況になった時に長女は、以前お見合いした「京都」に住む「年上」で「名家」の「お茶の先生」(上原謙)のところに嫁ぐことを決めてしまう。それは母親の身寄りの件で、他の兄弟たちが拒否した為、自分が引き受けようと決心をしたからだ。それを条件に再婚を決意する(長男嫁も夫に母親を引き取る件を相談するのだが、真面目に聞いてもらえない)。

原節子と仲代達矢との別れの場所は「ナイトクラブ」。ここで「わたし亡くなった主人とも踊った事がないのよ、でもこれであなたともお別れだから」と歌詞のような台詞で、別れをさらりと切り出す。そして「あなたは若いコとのほうがいいわ、それをあなたの両親は待ってるわ」などという。

老母は長女の提案(同居)を拒否するが、長女は「決めたこと」と聞いてくれない。最初、長女の提案は嬉しかったと思う。だが「自己犠牲」として映る長女の判断に申し訳ないという気持ちよりも、自分が「よその家」に行く拒否反応が出てきたのではないか。そして優しく、思いやりがある長女が変わってしまうのを目にしたくなかったのではないだろうか。

老母には考えがあった。それは一人で(「養老院」ではなく)「老人ホーム」に入ること。それはささやかな抵抗だ。それを唯一知り、理解するのは血のつながっていない「赤の他人」である長男の嫁(高峰秀子)だ。だから敢えて、長女にはそのことを知らせない。そして自分も義母を引き取る思い長女に伝える。

ラスト公園で、老母は笠智衆扮する「アルバイトで小さな子供を預かる」老人と出会う。老人がいうには、もうじき公園は「銀行の社宅」になるという。別れのあいさつをし、老母はその場を一旦去るが、子供の泣き声を聞き、老人のところに戻る。そして乳母車から子供を持ち上げ抱き寄せ、あやすところで映画は終わる。
その光景は、自分の子供たちの小さく“無垢”だったころを思い出したように見れるし、「今という時代」を受けいれたようにも見れる。だがロングショットで撮られたその画は、成瀬巳喜男の冷ややかな視線を感じずにはいられない。

DVD(9/25/2014)

※この映画が公開された1960年は映画史的にも時代の変わり目の年だった。『勝手にしやがれ』『大人はわかってくれない』など、「ヌーヴェルバーグ」がやってくる。
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