ウシュアイア

バビロンの陽光のウシュアイアのネタバレレビュー・内容・結末

バビロンの陽光(2010年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

2011年07月06日@シネスイッチ銀座
[あらすじ]
フセイン政権崩壊から3週間後のイラク、クルド人の老婆は戦地から帰らない息子を探しに、その息子にあたる孫のアーメッドとともに捕虜が収容されているナシリア刑務所を目指して旅に出ることになる。

度重なる戦争で疲弊したイラクで、様々な出会いと別れを繰り返し、ヒッチハイクの旅の果て、ナシリア刑務所にたどり着くものの・・・・

[感想]
戦争の混乱の最中に行方不明になった肉親を捜すというロードムービーなのだが、この映画の中で描かれているのは、ここ10年の間にあったであろう話である。

話自体はフィクションとはいえ、戦争で肉親を失ったイラク人は数知れず、行方不明の肉親を捜す話はイラク人にとっては身につまされる話である。

またロケもイラクで行われており、イラクの惨状が映像として伝わってくる。まさにイラクとイラク人の現状をそのままの形で描かれているといってもいい。

この映画の結末は、二人は探せどもアーメッドの父親の手掛かりを見つけることはできず、次々と集団墓地が発見されて、身元不明の人骨を目の当たりにし、祖母は失意の最中に死んでしまうという結末を迎える。

こうした絶望的な結末を迎えつつも、アーメッドの姿がまさに希望として描かれている。

祖母はクルド語しか話せず、信仰を捨ててしまった者もいる最中、神への祈りをささげ続け、クルド人虐殺に止むを得ず加わらざるを得なかった青年ムサを拒絶し、人生が長い分、現実を受け入れきれない存在として描かれている。

それに対し、アーメッドはクルド語しか分からない祖母に代わり、アラビア語で道を尋ねたり、また、身寄りのないタバコ売りの少年の手伝いをしたり、自分を助けてくれたムサを受け入れており、アーメッドは懸命にたくましく生きようとしているのである。

アーメッドのような存在がこの映画、ひいてはイラクの救いとなっているのが感動をよぶ。

この映画は反米主義やイスラム教の立場から描いた作品かと思いきや、信仰やアメリカの存在には触れられるものの、そうしたことよりも自分の家族の行方が分からない状況下でアメリカやフセイン政権がどうだ、という話にはなっていないのである。

まさにこれこそがイラク人の本音だろう。

国際社会はフセイン悪いだのやアメリカが悪いだのいう前に、イラクの復興をどうするかということをまず考えないといけないんだと思う。

今のイラクの状況はまさに60年前の日本と同じである。
自分たちの祖父世代となると、戦争で兄弟を亡くしたなどという話はよくある話で、戦争によって一般市民に降りかかる悲劇はいつの時代も変わらないということを痛感させられる。
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