た

コヤニスカッツィのたのレビュー・感想・評価

コヤニスカッツィ(1982年製作の映画)
-
囚人のジレンマ

囚人のジレンマとは、2者が協力したほうがお互いに良い結果になることがわかっていても、1者が得をして他者が損をする状況の場合には、協力しなくなることです。個人が自らの利益を追求している限り、必ずしも全体の合理的な選択に結びつくわけではないことを意味しています。

2. あなたは証言せず、友人も証言しない。刑期:一年(p92)
→両者ともこの選択をとった際、「沈黙の掟」というルールを守っている。つまり誰もが何らかのルールを持つことから恩恵を得られるのだ。たとえそれが、社会のルールを破ることに全力を尽くしている反社会的な者たちであっても。

集合行為の問題
列に並ぶ行為も囚人のジレンマの一形態だ。



以上から分かることは、ルールが設ける制約から誰もが利益を得ていることだ。それゆえルールは基本的な欲求や願望を抑圧するどころか、むしろ満足させられるようにするものなのだ。

囚人のジレンマの二人の容疑者は刑務所に送られたくない。沈黙の掟はこの願望を満たす最善の道だ。

人はときに、自分たちが望む結果を達成するために、外圧の脅威を必要とする。




この観点からみると、カウンターカルチャーが推し進めた叛逆の多くがいかに道理に反していたかがわかる。辛抱強く列に並ぶ無名の大衆は、軽蔑と嘲笑の対象とされてきた。

当映画は現代人の愚かな諸問題に警鐘を鳴らすが、しかし本当にこの順応は愚かなことなのか。




意味のない、旧弊な慣習に異を唱える反抗と、正当な社会規範を破る行為とを区別することが必要だ。つまり異議申し立てと逸脱は区別しなければならない。

この種の混乱はカウンターカルチャーの論者からは肯定的に迎えられた。逸脱と異議申し立ての区別を壊した(全ての逸脱を異議申し立てとして扱い出した)。

圧政に抵抗する自由・不当な支配と闘う自由は、好き勝手をする自由や私利を優先する自由とは同義ではない。しかしカウンターカルチャーはこの区別をせっせと崩していった。

ex.)
異議申し立て:マーティンルーサーキングの公民権運動
逸脱:アビーホフマンのイッピーの政治

両者を区別するには「皆がそれをしたらどうなるか、世界はもっと住みよい場所になるのか」。もしその答えがノーなら疑うべき理由がある。カウンターカルチャーの反逆の多くは、この簡単なテストに合格できない。
た