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トゥルー・クライムのparsifal3745のネタバレレビュー・内容・結末

トゥルー・クライム(1999年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

イーストウッドが演じるスティーブは、かつてはニューヨークタイムズの敏腕記者だが、飲酒や女性問題で閑職に追いやられ、間違った記事を掲載したりして、妻との関係が破綻しかけ、今でも女性とみれば口説きまくる破滅型のジャーナリスト。飲酒で鼻は利かなくなっているが、真実を見
分ける鼻には自信を持っている。同僚の若い女性記者が自動車事故で亡くなり、死刑囚執行の前に記事を書く仕事を受け継いで、囚人の無罪を嗅ぎ付け、証拠を求めて奔走する物語。
 このスティーブ、酒癖、女癖が悪く、家族を顧みずに仕事に没頭し、娘からは好かれているが妻には完全に愛想をつかされている設定。いつもながら、作品がイーストウッド自身が内包する問題を反映していると見えてしまい、自虐的、自嘲的にすら見える。良いも悪いも事実をありのままに表現しようとする意図からなのかと思っている。娘の面倒を見てあげながら、仕事の電話をしまくるシーンなんかは、本当にありそうで笑ってしまった。映画を撮り始めれば、ずっと留守がちだろうから、娘たちとの関係を良好にするために映画出演させたのではと思ってしまう。実の娘の フランセスカ・フィッシャー=イーストウッドがとても可愛い。
 冤罪をなすりつけられている黒人親子は、信仰してから日が浅いが、神を信じ、本当にお互いの思いが繋がっている3人親子。一方、新聞社の社長、社員、刑務所の所員は、お互いが自分の利益や立場に固執するばかりだったり、皮肉やユーモアが中心の関係。その辺りの対比が面白かった。白人は白人同士がお互いに良いように動いているだけで、弱い立場の人たちのために本当に動いているわけではないというメッセージが込められていた。2人の証人は、どちらも白人であり、若い黒人が血まみれで立っていたので、犯人だと思ったのだろう類推する部分や、黒人が殺されても新聞記者取材しにこないというセリフから、意図が垣間見えた。
 トゥルークライムという題にしたのは、本当の罪は何か、罪のない者、弱い立場の人達に罪を擦り付けていることにあるという辺りだろうか。
 以前から正義を振りかざした悪人や、反戦、弱い立場の人に立つ視点の映画か多かったわけだが、このころから、白人たちが利益のために起こした戦争だったり、自分たちの利益を大きくするために作り上げた社会に対する鋭い批判を秘めたメッセージ性がはっきりした作品が多くなってくるように思える。
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