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突撃隊のotomisanのレビュー・感想・評価

突撃隊(1961年製作の映画)
4.3
 河野仁(1961- . 防衛大学校 国際交流センター長. 教授)は「"玉砕"の軍隊、"生還"の軍隊」(講談社,2001)のなかで米軍は兵に対して「降伏は名誉」である?と、あるいは、「不名誉ではない」なのか分からないが伝えていたと言う。意味は同じようでも含みはまるで逆の事に感じられる。不名誉でないだけの働きをして生き延びられたなら、というところだろうか。
 とはいえ、戦争映画で率先降伏する米兵はあまり見ない。たとえば、中隊級100人以上を要する正面を6人で長けりゃ数日間も守れなどと命じられて、見える先には独軍の機関銃のトーチカと当然地雷原、火力も兵数も敵優勢下、どれだけ働けば降伏できる誰かが生き残るだろうか。
 対する独軍にとっては絶対防衛の対仏要塞線。このラインを押し返されると友軍はどうなるか、攻勢に出て敵の出丸トーチカを奪ってもそこを維持できるか、孤立しないか、退路どころか補給を確保できるか、味方主力はどこでどうしているか、なにを選んでも悪そうな情勢で尽くせる最善とは何だろう。現状を保てと厳命する先任が死んで、残ったベテランたち3人が取る敵トーチカ攻略が裏目に出たとき発案者Mc.はただ一人生き延びて、敢闘こそ間違いないけれど、部隊指揮権も無いまま命令違反し戦死者2名を出すという不名誉を着てしまう。
 優勢な敵の攻勢下で退却しても捕虜になっても不名誉とはされなかっただろうが、かえって軍律を乱したとして被る不名誉は当然ではあるけれど、あの3人のベテランたちのむざむざ退けない思いがなんなのか、十人の子持ちがこの要塞を落せば本当に帰国できる?あるいは、そのまま除隊が叶うかも知れない?とする想像を上回ってしまう事に心打たれる。しかし、その一方でこうした賭けのような攻勢が一体真っ当な事なのか、なにか捕虜になっても決して不名誉ではないと諭さないと無茶な攻勢で無駄な戦死を積み重ねて、"生還"の軍隊といわれながら実は"生還せよ"と命じなければならない無鉄砲な軍隊というもう一面があるのかも知れないと感じられた。
 そして、いつもながら、危ない橋こそ勝機の宝庫と思うMc.らの活躍が、万事打って出る事が身上なのか、かつての西部の流れ者の血でもあるまいが、地に根を下ろした生き方が馴染まない身の上の泣きどころ、1930年代アメリカのあんな娑婆には戻れないし戻る当てもない男たちの寄る辺なさの裏返しのように思えてならない。
 ならば、"玉砕"の日本軍はどうだろう、社会を挙げて兵に「死ね」と「死命と刻め」と教育しなければ外征まで課す兵に本分を果たせと修養させられなかったのだろうか。米国と異なりもともと戻る家と家族、郷党への意識が強くあった所為だろうか。
 思えば捕虜となった後の連合軍兵士の対独戦が幾つもの映画で語られるように「名誉ある降伏」とは実は捕虜となっても軍の秘密を口外しない、利敵を憎み反抗をよしとする兵個人の戦いにあるようだ。対して日本兵の遺した大量の日記、手記が軍の秘密事項を書き記してあったためそれらを鹵獲した米軍に大いに利用されたように、あるいは捕虜となって敵からの尋問に抵抗する術を知らなかったために秘密事項を利敵行為と気付かぬまま口外してしまったケースの多さを米軍資料が証してくれる。話中、Mc.がポーランドの若者を撥ね付ける事情とはそうした背景を表す事でもある。
 このように、個人の資質を信じるかのごとく前線でも捕虜となった後も頼りとし、ハリウッド経由で米兵かくあるべしと告げた米軍、それに対して、頼れないと悲観し虜囚の辱めを受けず「死ね」と切り捨てた日本軍との違いが戦争映画からも感じられる。
 ただ、その個人の資質としての戦場力の最たるMc.が中隊の援護を得てあのトーチカを単身制圧するのを見ていると、ふと、死んでいった戦友の弔い合戦でもあろうが、戦場でこそ本領が出せる男と将軍以下みな認めたMc.への飲酒運転での交通事故に関する軍法会議などと喫緊非常時の宝の持ち腐れとして肯定できない軍人同士として、はなむけの気持ちで申し渡したろう前線復帰、要塞攻略の緒戦突破。死出の花道のような、将軍以下期待通りの突撃行が、つつがなく軍功を挙げた先に何かが待っていると信じられるような人々と異なる、かつて娑婆にあっても生きる甲斐も当ても求め得なかっただろう男の怒りの捌け口であったように見えた。
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