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近松物語のryoのレビュー・感想・評価

近松物語(1954年製作の映画)
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宮川一夫のカメラの素晴らしさは、映画という媒体の最大の武器は奥行きであるということをよく教えてくれる。
静的な画の続く物語中の数少ない動的なシーンでも(例えばおさん茂兵衛が捕らえられるシーン、その直前の茂兵衛が竹藪に消える父親を見送るシーン、逃げ出してきた茂兵衛が岐阜屋を訪れ、おこう(浪花千栄子)と対峙してから逃亡するシーンなど)、奥行きがいかに重要な役割を果たしているか。
(《市民ケーン》や《我等の生涯の最良の年》での撮影監督、グレッグ・トーランドの、やはり奥行きを活かした画面を思い出す、技法的に一つ言えるのはパン・フォーカスの巧みな使用ということになるのだろうか、人間の視覚ではありえない、前景と後景に等しくピントを合わせるカメラ特有の「知覚」によって、そこに映画特有の時空間が出現する。その「知覚」は、人間にとって世界に奥行きがある(ように感じられる)のは何故か、という驚きにも通じている。そして、等しくピントの合わせられた画面では、演技や動き、背景となる大道具小道具に至るまで、微に入り細を穿つ画面の構築力、演出力が求められることになる。宮川一夫やグレッグ・トーランドを介して、溝口健二や黒澤明やオーソン・ウェルズやウィリアム・ワイラーの、監督としての偉さが分かってきた。)
また、日本家屋の幾何学的な空間性を見事に切り取ってみせる彼のカメラなかりせば、基本的に商家の内側で生起し終焉するこのドラマはこれほどの感銘を持ち得なかっただろう。

近松の「大経師昔暦」と西鶴の「おさん茂兵衛」を下敷きにした悲恋もの。暦と権力。琵琶湖上での長谷川一夫と香川京子。
(《雨月物語》でも琵琶湖は印象的に用いられていた、中世から近世にかけて、輸送や移動の大動脈でもあり、京都からは粟田口の向こうの境界でもあった、琵琶湖という場所。)
音楽は《羅生門》《雨月物語》の早坂文雄。安土桃山期を舞台にした《雨月物語》では能の囃子をベースにしていたが、江戸初期に起きた事件を題材にした《近松物語》では浄瑠璃や歌舞伎の音を映画音楽として見事に昇華している。
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