『戦場“でしか“役に立たない栄光あるクソ野郎』
いつだかは忘れたが俳優の武田鉄矢氏が高杉晋作を評する際「男の中には戦争でしか役に立たないタイプがいる。高杉はまさにそのタイプ」と言っていた記憶がある。
これが科学的に正しいかはわからないが、少なくとも本作の主人公パットンもその口だろう。
戦争がなによりも好きで、四六時中その事で頭がいっぱい。
本作の中でも描かれるが、あまりに戦史研究に没頭していた為、自分は過去の歴史的な武将の生まれ変わりと信じて疑わず、2000年前の古戦場を見ながら「かつて俺はここにいた…」などと部下に言い始める始末。
そんな妄想に取り憑かれるほどの戦争狂だったので、平和が続くと苛立ち始め、私生活が大いに乱れた。
酒浸りになり、挙句の果てには、自分の娘の友人と浮気までしていた。
言葉遣いが荒く、常識もなく、人からも嫌われる性格をしているが、一度戦場に出ると水を得た魚のように生き生きと戦い、戦果を上げる。
上層部の作戦に納得出来なければ、命令を無視して戦ったりもしていた。
その為、ヨーロッパ戦線においては圧倒的な強さを誇り、輝かしい戦果があるにも関わらず、世間や同僚からの評価は二分しているそうだ。
本作の脚本を執筆したフランシス・コッポラもその二面性を描くことに注力したと語っており、その試みは十分成功したと言えるだろう。
人間として、軍人としてクズとしか思えない行動をしたかと思えば、勇猛果敢な作戦で戦況を打開していく様を見ていると「なんなんだこのオヤジは?」という不思議な感覚に陥る。
無論、故人である彼の考えを観客が知る由はないが、ひとつ確実に言えることは、彼は私生活でも戦場でも「取り繕う」ことが出来ない人物だったということだ。
自分の欲求と考えに対して呆れるほど正直であり、その子供じみた純粋さが、激しい嫌悪感とほんの少しの羨ましさを感じさせているのかも知れない。
さて、戦争が終わり、戦場でしか役に立たない男の時代は終わりを告げた。
ラストシーンでは騎士道なき時代に騎士道を求めた狂人ドン・キホーテの象徴である風車と1人寂しく歩くパットンの姿が映し出される。
あれだけ屈強な兵と戦車を引き連れていた男の後ろには、もう誰も付き従うものが居ないのだ。
それは戦場を求めて彷徨う亡霊のようにも見えるし、仲間や部下と「名誉の戦死」を遂げること無く、一人寂しく死地へ旅立つことになった彼の未来を示唆しているようにも見える。
明らかに「死」を予感させるこのシーンは、映画の冒頭で巨大な星条旗を背にし、「生」をみなぎらせながら新兵達に演説していた姿とは程遠い。
このあまりにも残酷な対比によって炙り出される哀れさは胸に迫るものがあった。