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鉄男 THE BULLET MANの教授のレビュー・感想・評価

鉄男 THE BULLET MAN(2009年製作の映画)
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鑑賞中、本作は評判悪いだろうなぁとは思った。しかしながら、本作はシリーズ屈指の傑作だと思う。
本作を読み解くにはやはり、1作目と2作目はマストだと思う。
前2作を踏まえて、要するに「成熟した鉄男」の物語が展開される。これは最新作「斬、」を観たからだとは思うが、公開当時であれば、僕はつまらないと酷評していたと思う。

しかし、現在の塚本晋也監督の作品を踏まえると。塚本晋也監督は自身のフィルモグラフィーを重ねて行くたびに一貫したテーマ性と、言うなれば似たような話をやり続けながらも、そこに新たな要素が加わって踏まえて深みのある映画に進化して行っている。

本作には「破壊だ!」と清々しいまでに肉体を金属化させ、あるいは兵器化してきた鉄男シリーズの中で、そこに「死」であったり「老い」であったり、生きる中での愛する人への別れ、から来る痛みであったり、愛するものを奪われる痛みであったり、それら生きる、ということから容赦なく湧き上がる破壊への怒りの衝動について、回答を試みようとしている。

破壊を無邪気に行使して貫いてきた一作目から、もはや、破壊では留まらない、生きるということの絶望的なまでの苦しみや痛みが描きこまれている。
もはや、破壊や死では足りない、なんだか壮絶な人生そのものの徒労が満ちている。

愛する人を失う痛みから人間兵器を生み出してしまう父。怪物になるかもしれないのに「あなたの子供が産みたい」という妻。
相変わらず主人公を挑発し続ける塚本監督自身が演じる「やつ」もまた、齢を重ねて、シリーズ中同じことをしているのにニュアンスがまるで違う。
ストーリーも過去2作を混ぜて、結果的には同じストーリーになっているのに、まるで描いているものが違う。
その、同じことをやっているのに、全くもって描いているテーマがまるで違うその映画的マジックに驚嘆し、まさか「鉄男」で号泣するとは、と更に驚いてしまうが。
ある意味で馬鹿馬鹿しいほどに、無邪気に破壊に突き進んでいた本シリーズか、なんとも人生の味わい深さを孕んだ深い深い映画に進化していることに、心底感動をしてしまった。
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