Fitzcarraldo

マンディンゴのFitzcarraldoのレビュー・感想・評価

マンディンゴ(1975年製作の映画)
4.5
イタリア出身の大物プロデューサーDino De LaurentiisがKyle Elihu Onstottの小説"Mandingo"(1957)に目をつけて映画化し大ヒットするも、批評家によって世の中から無かったことにされる前代未聞の問題作であり呪われた映画。

監督にはディズニーのファミリーものから戦争大作ものまで何でも撮れる巨匠のRichard Fleischer。

脚本は"Serpico"(1973)、"Saturday Night Fever"(1977)のNorman Wexler。

アメリカの恥部であり、現在になっても未だに尾を引き続けている黒人奴隷の真実を映す鏡のような映画。

胸糞悪くなること間違いないルイジアナ州の人間農園を描く。

黒人奴隷の輸入が禁止になると、新たな奴隷が国内に入ってこなくなる…そうなったら交配させて増やすしかないという…まさに競走馬を作るのと同じ感覚で、マンディンゴという血統書付きの黒人を兄妹だろうが、関係なく交配させてしまう。

奴隷主は自分の性処理道具として使用していた黒人らが妊娠して、子供ができると、自分の子どもだろうが関係なく売っていた。

オバマ元大統領は演説の中で、妻のミッシェルは奴隷主と奴隷との間に生まれた子孫だと語った。

自動車や不動産と同じように、黒人奴隷は資産として取り扱われていたから、売買の記録が全て残っているという…だから家系が辿れるのだと…

白人の奴隷主たちは、黒人奴隷を正当化するために、黒人には魂がないと信じていたと…すべての人間は平等であるという聖書の教えに反してしまうために、その矛盾を晴らすために黒人には魂がない、彼らは人間ではないと考えた。家畜同然であると…だから黒人奴隷の病気を診察するのは獣医なのだ。

恐ろしい。
怖ろしい。

今までの奴隷描写は甘っちょろい、この映画で全部ぶちまけるとリチャード・フライシャー。本当にアメリカの恥部を白日の下に晒してしまった…。


MUDDY WATERS
"BORN IN THIS TIME"

俺は生まれた
この時代に
自由のない
この時代に
自由が欲しくても
手が届かない

自分のものは
この心だけ
そうとも俺のものは心だけ
幸せがどういうものか
知りもしない

分からないよ
誰を責めるべきか
まったく分からない
誰が悪いのか

ただ生きるだけさ
ただ生きるだけ

すごく疲れてる
でも休めない
疲れてるが
休めないんだ
ムチで打たれても
痛みを感じない

天国の神様
聞いてほしいんだ
聞いてくれよ
俺の祈りを
救ってほしいんだ
この絶望から

俺は生まれた
この時代に
自由のない
この時代に

自由が欲しくても
手が届かない


マディウォーターズの歌うゴリゴリのブルースから物語は始まる。
この歌詞がもう全てを物語っている。

高校生からBluesを聴き始めてきたが、この映画を見てからだと、また全く受ける印象が変わってしまう。これが本来のBluesがもつ力なのだろう…心からの叫び。なんにも分からずに聴いていたんだなぁと浅はかな自分が恥ずかしくもなる。

いやぁマンディンゴ…恐ろしいな。


James Mason演じる農園主のウォーレン。屋敷も古びているし、庭の手入れも行き届いてない、豪遊してる様子もなく、この家もどこかギリギリの感じがする。そこにこそ誇張のないリアルさを余計に感じる。普段の生活というか、日常風景に見せているのが、逆に恐ろしさを増長している。


◯屋敷
食卓を囲う。

獣医
「奴隷に信仰を持たせてますか?」

ウォーレン
「信仰なんぞ持たせたら扱いにくくなってしまう」

獣医
「魂の救済は?」

ウォーレン
「こいつらに魂はない。あるなら白人と同等だと思い上がる。(メムに)自分に魂があると思うか?」

メム
「私のような愚かな黒人にはありませんよ」

一同笑う。

奴隷商人
「魂があるという人も」

獣医
「北部の奴隷廃止論者だ」

ウォーレン
「とんでもない奴らだ。奴隷制度は神が定めたというのに。奴隷どもは働いて食えれば幸せだ!廃止論者め!完全にイカれておる」

オォォォイカれてるのはお前だよ。

奴隷商人
「メキシコの無毛犬に体を当てて寝ると、リウマチがその犬にうつるそうですよ」

ウォーレン
「本当か?」

獣医
「黒人にもうつせる。双子のどちらかで試しなさい。あんたの脚に抱きつかせて、足の裏を子供の腹に当てておくんだ」

ウォーレン
「試してみよう」


ロッキンチェアーに座るウォーレンの足元に黒人の少年を寝かせて、そのお腹の上に自分の両足を乗せる。DVDのジャケットにもなってる胸糞悪い絵面。これをまた徹底して最後までやるから胃もたれする。

めちゃくちゃだ。


農園主ウォーレンの息子ハモンドを演じるPerry King。

いとこのリチャードと、種付け用にマンディンゴの男性を借りに出掛ける。

その晩、黒人少女をそれぞれ提供される。
いとこのリチャードは興奮するからという理由でベルトで打つ。

胸を出し、胸を揉まれ、口にキスをされて、尻を叩かれて…これ撮影とはいえ大丈夫なのか?明らかに少女は少女なんですけど…子役?これ倫理的な大丈夫なのか?演じた少女たちに心の傷は残らないのか?トラウマにならないか?

しかも、こんな少女たちに興奮してる白人どもが気持ち悪すぎる。人種差別も勿論なのだが、チャイルドマレスターも甚だ気持ち悪い。

もうお腹いっぱい。ウォーレンの足の所為でお腹痛くなってきた…。


Susan George演じるチャールズの妹ブランチとハモンドは結婚することに。

いとこ同志でのセックス後…
ハモンドはブランチが処女じゃないと激昂する。

ハモンド
「考え事で眠れなかった」

ブランチ
「考え事って?」

ハモンド
「いったい誰なのか、ずっと考えてた。初めての男は誰だ?」

ブランチ
「いったいなぜそんな馬鹿げた考えを?」

ハモンド
「処女かどうか分からないとでも?」

ブランチ
「処女だったわ」

ハモンド
「昨夜よりずっと前にね」

ブランチ
「言いがかりはよして!誰とも寝てないわ!初めての相手は…あなたよ!」

ハモンド
「君を喜ばせた相手を言え!そいつを殺してやる!」

ブランチ
「なぜ責められなくちゃいけないの?私はあなた以外の誰とも寝たりしてないわ」

ハモンド
「なんて女だ!」

部屋を出るハモンド。

おい、なんなんだこれ。
倫理観めちゃくちゃだよ。

黒人を家畜同然で扱うくせに、白人女性は処女でなくてはならない?なんで?なんのための処女崇拝?

いや…君は…年端もいかない少女とやっとるがな。なんやねん。

それでも、そのまま結婚は突き通すようだ。これもなんの体面を気にしているのか全く理解できない。


ミードというマンディンゴを競り勝ち手にするハモンド。

筋骨隆々のマンディンゴを演じたのは、プロボクシング史上初にして唯一“世界タイトルマッチで一度も勝利したことが無い世界王者”のKenneth Howard Nortonことケン・ノートン。

彼はモハメド・アリの顎を試合中に割ったことがあるとか?『ロッキー』では、アポロ・クリードの役に予定されていたらしい。


ハモンド
「パパ、見てくれ。気になることが…」

ウォーレン
「(書類を見て)なるほどな」

ハモンド
「ミードとビッグ・パールと兄妹なんだ」

ウォーレン
「あいつらは、そのことを知らんだろう」

ハモンド
「近親相姦になる」

ウォーレン
「動物同様、黒人もうまくいく」

ハモンド
「おかしな子が生まれてくるかもしれない」

ウォーレン
「殺せばいい。余計なことを考えるな」

おおおおお恐ろしい。
返事が早すぎる。


◯森

反乱した黒人のひとりを処刑する。
縄を縛られながら、
黒人
「お前(ミード)の所為で捕まったんだ。いつまでも忘れるな!お前が俺を殺すんだ!黒人が互いに殺し合うハメになるのはお前みたいに白人に従う奴がいるからだ。俺は奴隷として死なないだけマシさ!白人のために惨めな人生を送るなら、死ぬほうがいい!お前たちは自分の国にいるのに自由じゃないだろ?俺たちは自由だったのに、それを奪われた。だが住みついた以上は、ここは黒人の国でもあるんだ。俺を殺したら、ケツにキスしろ!」

首を吊るされる。

このシーンにはシルベスター・スタローンが赤い帽子をかぶったエキストラとして参加してるらしいが、探せなかった…。本当にいるのか?


◯中庭

黒人奴隷同士で闘わせる。

ミードと大男を囲って熱狂している白人たち。剣闘士の時代から基本的に何ら変わってないのねと改めて人間の狂気を思う。

金網マッチのUFCもスポーツ化されてるとはいえ、見ている側の基本原理は何ら変わらないもんなぁ…人間は恐ろしい。

"Django Unchained"(2012) で「マンディンゴ ファイティング」という用語を、タランティーノはここからもってくる。


ルビーのアクセサリーを手土産に嫁に渡せと父ウォーレンが入れ知恵する。
ハモンドはバカだから、ルビーのネックレスは嫁にあげるも、ルビーのイヤリングは性処理担当の黒人エレンにあげてしまう。

もらったイヤリングを食卓の給仕の時に耳につけてしまうエレン。それを見た嫁のブランチは激昂する。


謝りに行けと父に諭されるハモンド。
ブランチのところに行くも、また喧嘩。

ブランチは13歳の時に兄のチャールズと性行為をしたと。だから処女じゃないと…

え?これはレイプ?合意の上?また近親相姦かよ…もうマシマシの油ギトギトで胃もたれが…


奴隷を売りに出掛ける。
子供を売りたくない母親が抱きしめていると、
ウォーレン
「ディート、子供を乗せろ!ぐずぐずしおって…」

ハモンドが近寄る

ハモンド
「この子は売らないよ!」

ウォーレン
「お前の子はみんな売ったろ?」

ハモンド
「(ディートに)馬車から降ろせ」

ウォーレン
「触るんじゃない!」

ハモンド
「(ディートに)子供を連れていくんだ!早く!」

ウォーレン
「お前は馬鹿だ」

ハモンド
「そうさ…でも残したいんだ」

いったい、これまで何人産ませて、何人売ったのか?こいつの性欲マシーンぶりは、種馬と何ら変わらないな…馬並みという言葉通りだな…。


ハモンドが奴隷を売りに出掛けている間に、エレンに嫉妬したブランチは悪巧みを思いつく。ミードにレイプされたと言われたくなかったら、私を抱きなさいと…自ら積極的に誘惑する。これを断るのはなかなか至難の業なのか…どうなるかくらい分かりそうなもんだけどな…


奴隷売りから帰ってくるハモンド。
帰ってくると、ミードとビッグ・パール、兄妹の子どもが産まれている。

その子供を抱っこして父ウォーレンに見せに行くハモンド。

ウォーレン
「どの赤ん坊も黒い虫にしか見えん」

・・・。


ブランチも妊娠を告げる。

それで様子が違うのか?となぜかちょっと喜んでいるハモンド。

ん?初夜以来、一度もブランチを抱いてないでしょ?そんな描写ひとつもなかったけど…それなら誰の子だ?ってならなきゃらおかしくない?処女じゃなかった時におんなに激昂した男が、なに父親ぶってるのか?性行為してないんだから、妊娠した時点で誰の子だ?ってなってよくないか?

助産師の夫
「子供は?」

助産師
「ちゃんと産まれたわ…でも白くないの…どうする?」

助産師の夫
「どうするって…死なせるんだ」

かごに寝かせて、上からタオルを被せて窒息死させる助産師の夫。

ブランチ
「子供を見せて!お願いよ!子供は黒くないわよね?子供の肌は黒くないと言ってちょうだい!」

ん?敢えてでしょ?復讐のために黒い子供を産むのが狙いだったんじゃないの?ブランチの思考回路もまたよく分からない。


黒い肌の子供を見て怒りに震えるハモンド。
階下へ戻り獣医に聞く。

ハモンド
「毒を使いますよね?老いた奴隷を殺すときに。いまあります?」

獣医
「馬車にな」

ハモンド
「ください」


毒をお酒に混ぜて、ブランチに飲ませるハモンド。

怒りが収まらず、銃を持ちミードのもとへ。君はどういう感情でいま怒ってるんですか?冒頭から彼らの気持ちを理解することはできないのだけど…ここで怒ってるのもまた全く分からない。

別に体面を保つだけの結婚だったんだから、別によくないか?自分の性処理は奴隷で済ませてるわけだし…夫婦仲は初めから一度として良かった時はないんだし…仮面夫婦でそのまま過ごせばいいんじゃ?

なんでここにきて変なプライドが生じてるのか?


大釜に水を入れて火を焚かせて沸騰したら、ミードに向かってその中へ入れろと命じるハモンド。

断るミード。
銃をぶっ放すハモンド。

弾を喰らった反動で煮えたぎる熱湯釜の中へ落ちるミード。三又の鋤で熱湯から出られないように上から押さえつけるハモンド。

メムが見てられなくなり、止めに入る。
ハモンドにはじかれた拍子で、目の前の銃を手にしてハモンドに向けるメム。


ウォーレン
「いかれた黒人だ!銃を下ろせ!黒い獣め!」

ウォーレンを撃つメム。
死ぬウォーレン。
呆然とするハモンド。

エンド。


胃もたれ半端ないマシマシ二郎系のような脂っこいものを何とか最後まで食べきれたのは、巨匠作曲家モーリス・ジャールのお陰か…お酢を入れることによりサッパリするような効果をモーリス・ジャールの音楽がもたらしているのかもしれない。

Maurice Jarreは"Lawrence of Arabia"(1962)、"Doctor Zhivago"(1965)などの音楽。


本作には続編があり…
"DRUM"(1976)
監督:スティーヴ・カーヴァー

続編が作られるほど当時は当たったということ…こんな内容なものが、当たるとは物凄くいい時代だなぁ。


社会とか歴史の授業で、先ずこの映画を見せることから始めればいいと思う。中途半端な知識しかない先生の講釈を聞くよりも何倍も勉強になるだろう。

中学くらいで見たら人生変わってたかもしれない。
Fitzcarraldo

Fitzcarraldo