じょの

クライヴ・バーカー ドレッド[恐怖]のじょののレビュー・感想・評価

3.0
クライヴ・バーカーの小説『腐肉の晩餐』を原作とする映像作品。

───恐怖にまさる愉しみはない───
こんな書き出しではじまる『腐肉の晩餐』は、バーカー作品にしては珍しく、怪物や悪魔は登場しない。これは人間同士が織り成すスリラーだ。
哲学科の大学生、スティーヴ・グレースは、クウェードという奇妙な上級生と知り合う。クウェードは繰り返し、スティーヴに恐怖の哲学を説き、スティーヴは徐々にそれに魅了されていく……

というあらすじ。(ずいぶん端折った)

バーカー原作の映画の大半は駄作なので、期待しないようにと思って見始めた。なんたって日本未公開作品だし。

ところがどっこい、これはおもしろかったです。

短編小説を無理やり二時間に引き延ばしてしまうと、たいがいの映画化は失敗するのだが、これはちゃんとイチから練り直してあって、小説とは違うオチになってはいるものの、ちゃんと原作に沿っているという秀逸っぷり。
しかも、原作ではイケてない部類の主役二人が、ハンサムくんとカワイイくんに置き換えられている。
クウェードのキャラクターが『完全にイカれたキモメン』から、『悲哀が感じられるイケメン(主人公に救いを求めるなど)』に変更されていたのは、好みの分かれるところですね。

バーカーの小説をそのまんま映像にすると、すごくつまんなくなっちゃって、それゆえ、今までのバーカー原作映画は駄作が多かった。

・バーカーの小説って、実はそんなに大したストーリーじゃない。
いや、どれも創造性にあふれてて、目のつけどころは最高なんだ。
この“目のつけどころは最高”が故に、企画書にしたときに「これは素晴らしい映画になるぞ!」と思わせてくれるのだが、でもそこだけでは二時間も客を引っぱれない。

・バーカーの小説って、人間のキャラクターがけっこう底が浅かったりする。
「短編に納めるために、いろいろ削ぎ落としてるんだろうな」と思っていたのだけど、長編を読んでもそうだったので、これは彼の小説の特徴なのでしょう。
(そのかわり異形の作り込みはハンパじゃなくて、そこに注ぐ愛情はすごいです)

で、映画の場合、人間のキャラクターが弱いというのは欠点に近い。
だからバーカーの小説を映画化するには、“短編に納めるために、いろいろ削ぎ落としてるんだろうな”的な部分を、たくさん補わなくてはならない。主に“人間を描く”というあたりを。
バーカー原作の映画作品で評価が高い『キャンディマン』は、そこのところに力を注いであり、だからこそ成功したのだと思う。(あとこれは映像が素晴らしい。団地がやたら上手く撮れてるし)
今回の『ドレッド』も、登場人物を増やし、ひとりひとりの人間をちゃんと描いている。これは“モンスターの出て来ないホラー”なので、人間がキッチリ描けてなければ、意味がない作品なのだ。

「バーカー原作の映画作品といえば、『ヘル・レイザー』のシリーズだろ!あれは人間は描けてないじゃん!でも一番ヒットしたじゃん!」
はい、そうなんです。でもこれは人間が描けてなくても構わない構成。『13日の金曜日』や『エルム街』と同じく、ホラーのキャラクターが活躍する作品だから。
そういう意味では、バーカーのスタイルを映像化して上手くいったのは、これだけかもしれない。

本作品は後味悪い系なので「ぜひ見てください」とは言えません。
「スプラッタもホラーも後味悪いのも平気」という猛者にオススメします。
じょの

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