カラン

フランチェスコ -ノーカット完全版-のカランのレビュー・感想・評価

3.5
聖フランチェスコというのは、カトリックの修道会、フランシスコ会を創始したアッシジの聖人。アッシジはイタリア半島のど真ん中の都市。1182に生まれ、1226年に亡くなった。貧しい人にものを分け与え、托鉢では金を受け取らず、病んでいる人を抱擁してまわり、キリストのように生きることを実践した人だという。



暗い映画。画面が暗い。ロッセリーニの『神の道化師、フランチェスコ』(1950)と比べてみてほしい。どちらも血や貧さや病気は出てくるが、光の量が違う。

聖フランチェスコは裕福な家柄であるが、貧しい人に全てを分け与える。全部分け与えてしまうので、裸になってしまう。そういう《おかしさ》を捉えることが、本作はいまいちできていない。代わりに、セクシー路線をまだ走っていたミッキー・ロークの、ぶらぶらがよく映る。笑い事ではなくて、このぶらぶらは大事である。服も靴もあげてしまい、自分は犬だのうさぎだのの餌を食べる人なのだから、ぶらぶらするに決まっている。しかし、おかしみを映像は達成しない。ミッキー・ロークのがぶらぶらするだけ。だからダメ。

それでも、この160分近くあるのを、最後まで見れるのはやはり、聖フランチェスコという人物がとても興味深いからであろう。本作は聖フランチェスコが父の家にいる時代から、聖痕が身体に出現したところまでをエピソード集という形で物語る。エスタブリッシングショットを使わないまま、断片的な暗いシーンを多用するというのは、世の悦び、イエスのように生きる楽しさをまったく伝えずに、芸術を気取るどうしようもない選択に思える。

リリアーナ・カヴァーニさんというのはイタリアの監督さんで、『愛の嵐』(1973)というカルトムービーを撮った人。このカヴァーニさんが1989年にジュゼッペ・ランチさんという大御所と撮ったのが本作。このジュゼッペ・ランチさんはベロッキオ、モレッティ、またダヴィアーニ兄弟の他に、タルコフスキーの『ノスタルジア』(1983)を撮っている凄腕。丘の傾斜が尋常ではないロングショットだけが本作の救い。

ミッキー・ロークとヘレナ・ボナム=カーターときて、少し心配だった。何語で話すんだと。イタリア語だった。アテレコだが。サウンドエンジニアはちょっとレベルが低いから、余計にアテレコ感が出ていたか。イタリアの聖人をイタリアでイタリア人監督が撮って、イタリア語じゃないわけにもいかず、アテレコにしたのだろう。結果的に、キャスティングも含めて本作は間違っている。

聖フランチェスコの話は、とにかく面白い。ミッキー・ロークじゃなくても素晴らしい映画にすることはできたのだが、監督の映画への不信心がこのような失態を招いたのである。ロッセリーニを見よ!



レンタルDVD。55円宅配GEO、20分の5。
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