OASIS

季節の中でのOASISのレビュー・感想・評価

季節の中で(1999年製作の映画)
4.1
ベトナムの町に住む人々の暮らしや季節によって変化する風景を描いた映画。

巨大な屋敷に住んでいるが病に苦しみ中々姿を見せない主人ダオと、そこへ働きにやって来た花売りの女性アン。
貧しいシクロ(人力車)乗りのハイと、いくつものホテルを行き来する娼婦の女性。
物を売りながら路上生活を送る少年ウッディと、彼の荷物を盗み、ベトナム人の妻との間に出来た娘を探す為いつも同じ場所で待ち続ける元海兵隊員のアメリカ人。
この三組の三場面が交互に描かれて行く群像劇。
お互い表面上では干渉し合っているようで微妙に繋がりを感じさせる所もあれば、そんな接点があったところで今生きる世界はそれほど変わりはせず、只々流れ行く時間と移ろい行く季節。
「ここでは誰も他人の事なんて気にしちゃいないよ」という、その町の美点でもあり汚点でもある部分を強調しているかの様だった。

この映画の肝だと思われる部分は、三組がお互いに等しく「闇の存在」である所。
ハンセン病を患い暗い部屋で過ごすダオと彼の手となり詩の口述筆記を行うアンは太陽から隠れてひっそりと二人の時間を過ごす。
天に聳える高級ホテルから生まれる影が居場所である娼婦と、彼女に惹かれるが客として抱くお金の持ち合わせが無いハイは外が暗闇に包まれ仕事が終わるまで待ち続けて帰り道を二人で過ごそうとする。
海兵隊員は、とっくに葬ったはずの過去と向き合う為にあえて草臥れた町へと目を向ける。

物理的・空間的な闇、町の闇、そして歴史の闇。
あらゆる闇が存在する中で、その影の中でしかもがく事の出来ない人々にスポットが当てられている為、町の中心にどっかと腰を据える五つ星高級ホテルの最上階から階下に広がる景色を眺めているような錯覚に陥る。
俯瞰から表面的に眺めても、屋根や街行く人々を高みから見下ろしても、そこからは見えない位置で死に物狂いで生きようとする者の息遣いや匂いを感じる事は出来ない。
彼らと同じ様に、地べたを這いずり舐めるが如く町に生き続け、激しい豪雨に打たれ、厳しい暑さに耐え続けた者にだけラストシーンの美しい景色が拝めるのだと。
あのホテルに暮らすお金持ちの目線がちょっとでもあればそれが引き立ったかもしれないが。

娼婦の女性が50ドルという微妙にお手頃な価格に見合う容姿だったのだが、あの美女とも不細工とも呼べない何とも言えない普通さが「一花咲かせたい」と願う不屈さを感じさせて良かったのだが、やはりアオザイは美女が着るから魅力的なのではないだろうかと。
全体的に無名のキャストが並ぶ中、海兵隊員役のハーヴェイ・カイテルが何と言っても異色な味わいを残していた。
娘を見つけた瞬間に、見つめ合うだけで台詞も無く泣き崩れるシーンはこちらまで罪が洗い流されて救われたような気分になってくる。
「バッド・ルーテナント」「グレイスランド」の時も書いていた気がするが、彼の男泣き演技は国や場所を選ばずいつでも国宝級であった。
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