広島カップ

昭和残侠伝 死んで貰いますの広島カップのレビュー・感想・評価

3.0
大正から昭和にかかる時代のヤクザの世界。本作の後、時代設定として日本は戦争に突入するわけで、任侠映画界的にはそのあとは戦後設定の「仁義なき戦い」に続いていく事になる訳です。"やられたやり返す"彼らのいわゆる血で血を洗う抗争の前哨戦です。

もう頭の中には義理人情でいっぱいな人達ばかり出てきて理性の入り込む隙間が無いしそれを劇伴エレジーが強烈に後押しする。

芸者(藤純子)に情けを受けたヤクザ者(高倉健)の復讐劇。
義理人情にも汚いものと清々しいものがあるようで、清々しい方を貫く健さんの生きる道に立ちはだかる汚い義理人情をかざす悪党共を、健さんがバッタバッタと切り倒していく。
敵の根城に踏み込んで行き、多勢に無勢の状況の中、瞬き一つせずに一匹ずつ片付けて行く健さんをこちらも瞬きせずに見つめている自分に気づく。「仁義なき戦い」の前哨戦なので戦いの道具としてハジキがまだ無い戦いのシンプルさに好感が持てます。

てっきり「死んで貰います」というセリフと共にズブっとなるのかと思って観ていましたが「死んで貰うぜ」だったのでこれはかなりニュアンスが違って考察ポイントとして興味深い。
貰いますか?貰うぜか?皆さんはどちらのセリフの方が健さんらしいと思いますか?

壺振り師は「入ります」と言って壺を振ります。「入るぜ」とは決して言わない。この丁寧な言葉使いが何故かヤクザの世界には似合います。仁義を切る時にもかなり丁寧な言葉遣いになります。
「死んで貰うぜ」と言うと勢いは確かにつきますが、なんとなく品格としては安くなります。若僧が刃物振り回している感じになります。
なので私は「死んで貰います」の方が良かったなぁと思います。
しかし、この時のシーンの健さんは悪党共に対する怒りがMAXまで達していて、とても丁寧な言葉を選んでいるような場合ではなかったと忖度します!
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