ROY

西陣のROYのレビュー・感想・評価

西陣(1961年製作の映画)
4.2
京都、古い記憶の雨が降る街。

美しい着物は、必ずしも美しい場所から生まれるのではない。

京都に怖い印象を持ったのは初めてだった

■ABOUT
京都でユニークな活動をしていた記録映画の鑑賞組織が、芸術運動として映画の自主製作をプロデュースした作品。西陣や西陣織についての観光映画や産業PR映画をねらった物ではなく、短いクロース・アップのショットを多用し、閉塞した空間の鬱屈に、安保挫折後の空洞感や不在感をダブル・イメージしている。(『イメージフォーラム』より)

京都・西陣を題材に、安保闘争後の日常化した現実の矛盾を画面に定着させることに挑んだ前衛記録映画の代表作。(『山形国際ドキュメンタリー映画祭』より)

■NOTES
ドキュメンタリーなんかでもですね、それまでは共産党の組織や労働組合の組織をバックにして作るっていうのがほとんどだった。それから外れて違ったこと考えようとしても、映画を作る基盤も上映の基盤もなかったから、全く新しい体質のものを作っていかなきゃならなかった。そういうところから始めざるをえなかったんですね。ちょうどその頃、60年安保の挫折の直後でしたが、僕は『西陣』っていうドキュメンタリーを撮ったんだけど、これは京都記録映画を観る会っていう観客組織をバックグラウンドにして作ったんです。意識の上では左翼的ではあるんだけれども、いわゆる政治的な組織ではない。そういう新しい観客が育ち始めてて、自分達が観たい映画を自分達の力で作ろうっていうようなことが始まった最初だと思うんです。そこで、初めての試みとして今さっき僕が言ったようなことを言って、もっと状況の内面 の底に沈んでる、形にしにくい歪みみたいなものを形にしようという主旨に合意を得て、京都の西陣を取り上げることにした。しかし、西陣って場所を描写するわけでもないし、織物を見せようとするわけでもなくて、西陣って場所にうずくもってるね、声にならない分厚い沈黙の声を形にしようとした。いわゆる特殊な非日常的な素材や決定的瞬間のいただきショットを排して、いわば固執するイメージを執拗に積み重ねてゆくシネポエムっていう形式をとったんですけれどもね。結果 は賛否両論でしたが、こちらもまだ若かったので、ヴェネツィアの国際記録映画祭で銀獅子賞になったことは、次の展開をしやすくしてくれました。

↑「日本のドキュメンタリー作家 No. 9松本俊夫」『山形国際ドキュメンタリー映画祭』より抜粋

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本でも書いたことですけどもね、ジャンルとしてドキュメンタリーとフィクションを対立させあうような風潮がありまして、評論家の岩崎昶と今村太平がそれぞれ虚構と事実の優位 性をめぐって論争したことがありました。しかし僕はね、虚構か事実かっていう論争はあまり実りが豊かでないと思ったわけです。重要なのは、表現者と現実世界と映画の三角関係をどんな風につきつめようとするかであって、映画のきわめて魅力的な特色は、事実と虚構、客観と主観の二元的構図がむしろ溶解して区別 がつきにくくなることにあるんじゃないのか。だいいち僕に言わせると、何らかの対象を何らかの視点で切り取ったり配列したりして作り上げられる秩序は本質的にフィクションだし、その意味で虚構性は創作に必ずつきまとうものだけれど、その秩序を開いたものにしようとする上で、ドキュメンタリーの方法がアクチュアルな意味をもってくると思うんです。古典的なジャンルっていうのは、とりあえず認識を整理する上での目安にはなるけど、やっぱりそれ自体が揺さぶられて変わっていくっていうふうに思ったわけですよ。そういう意味ではね、映画をジャンルで全然ちがう世界に振り分けるというのは、僕は反対だったんです。

↑「日本のドキュメンタリー作家 No. 9松本俊夫」『山形国際ドキュメンタリー映画祭』より抜粋
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