むぅ

華麗なるギャツビーのむぅのレビュー・感想・評価

華麗なるギャツビー(2013年製作の映画)
3.7
自分を偽ると孤独が増えていく

「出た!」
集合体恐怖症なので、映画を観ていると時々悲鳴をあげたくなる事がある。『シン・ゴジラ』の海から上がってきた第2形態のゴジラに鳥肌が立ったし、『サマーウォーズ』は後半薄目で観たし、『ユリゴコロ』に至っては恐怖のあまり一度止めた。
さすがにそこまでの嫌悪感も恐怖もないが、プロムや社交パーティーが出てくると「こ、怖いよぅ」となる。苦手なのだ。
なぜ苦手なのか深く考えた事はなかった。"ウェーイ"のノリが自分に合わないだけかと思っていた。
でも自分を偽るギャッツビーの孤独な姿を見て思った。
"楽しんで" "盛り上がって" いなくてはいけない空気に合わせて、その場にふさわしい自分に偽ることは出来る。でも合わせれば合わせるほど、あんなに周りに人がいるのに孤独と虚しさを感じる。
だからなのかもしれない。
そもそもプロムは[これ誘われなかったら超孤独じゃん]問題が脳裏をよぎるのもある。
後はあんまり認めたくないないが、自分がピンとこないことで盛り上がっているのを見ると一歩引いてしまう性格の悪さも機縁している。我ながらその辺は非常に残念な生き物であると思う。

1920年代 アメリカ
快楽的な生活を送る謎の富豪ギャッツビーの意外な正体を、ある女性との恋を絡めながら映し出す。

私の苦手なそのパーティーの中で、花火をバックに微笑みながらディカプリオ演じるギャッツビーの登場の説得力が凄い。
美しく輝いた後、一瞬で消え落ちていく花火がギャッツビーのその後を示唆しているようで、派手なシーンなのに儚さも感じる。

ギャッツビーが"手に入れたもの"と"手に入れられなかったもの"。それを美しい入れ子の蓋を次々と開けていくように描く。
最後にその箱の中にあったものとは。

頼まれないことは百も承知だが、もし監督として今作をリメイクするなら、舞台はSNSだなと皮肉なことを思った。
むぅ

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