実は以前から漫才を書いてるんですが、私が好んで書くのは所謂「ボケ・ツッコミ」では無く……説明するのは難しいですが、ボケの代わりに”堂々とした不条理”のようなものを当てはめたシュールな漫才で。
私はその不条理を「暴論」と呼んでいたんですが、談志はそれを「イリュージョン」と呼んでいたと……
無論、談志と自分を並べて語るのは烏滸がましいことこの上ないと理解した上で、でも確かに彼の言うイリュージョンに近いことを知らず知らずのうちに追い求めていたことに感激してなりませんでした。
立川談志。
落語好きの端くれとして、知らない訳が無い人ではあるが、1番好きな落語家が上方の桂枝雀の私からすると対極の存在だと思い込んでそんなに入れ込むことはなく、人柄なんかもフワッとしか知らなかった。
そんな私を含めた観客を「談志中毒患者」にすると言うナレーションから始まるこの映画だが、構成がまた良い。
まずインタビューの様子や著書からの引用、そして談志のイリュージョンに溢れた「やかん」を見せられ、談志の美学、落語に対する考え方を何となく理解する。
その中で何度か「芝浜が嫌いだ」という事が言及される(というか見てるとこの人は芝浜嫌いだろうなとわかってくる笑)が、そんな他でもない芝浜を映画後半たっぷり使って見せられる。
その素晴らしい事。
レビューを読んでいるとこの映画で芝浜を初めて聴いたという人も少なく無いみたいだが、いくつか聴いたことがあった方がこの凄味が伝わるのではないか。
まさに、”笑わせる事は手段””落語は業の肯定”というのを、嫌いな演目だという芝浜を通してこれでもかと伝えられる。
凄まじい演技。決して聞き取りやすい声では無いのに、前のめりになって引き込まれてしまう。
「また夢になるといけねえ」
様々な落語家から何度も聴いたその台詞。
もうこれ以上ナレーションは要らないと思った。ら、実際なにも説明などなく映画が終わって。。
その時にはとっくに談志中毒になっていた。