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少年Hのmofaのネタバレレビュー・内容・結末

少年H(2012年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

【戦争とは空虚】

相棒とか、観ていないので、
水谷豊って、どんなもんだろうかと思っていたが、
いやはや、何とも、素晴らしい演技を見せつけて頂いた。
 ちなみに、伊藤蘭さまも、素晴らしかった。

空爆があり、街がすべて焼けてしまった後の、
水谷豊演じる、少年Hの父親の、演技は、格別だった。

 すべてが一瞬にして失われた喪失感と、虚無感。
息子と再会しても、笑顔はない。
 「一体、この戦争は何なのだ?」という、疑問。

 音もなく、台詞もない、あの場面の、
水谷豊の眼光が、すべてを表現していた。
 
 さて、物語は、妹尾河童実話を映画化したもの。
昭和初期の神戸が舞台。
 紳士服の仕立て屋の父親と、クリスチャンの母親と、妹と暮らしている。
軍国化していく日本の姿と、その変化に巻き込まれていく人々を、
少年H(肇のH)の目を通して、描かれていく。

 戦争映画・・・という括りよりは、まさにヒューマンドラマである。
戦争映画特有の暗さはなく、時折、ぷぷぷ・・・と笑ってしまう場面も多い。

 戦争と、終戦の劇的な変化に、戸惑いをみせる少年H。
軍国主義であった人間が、終戦になれば、全く別物になっていた。
そんな光景を、少年は「ワカメのようだ」と表現する。

 上手に環境の変化に、順応していく人間もあれば、
父親のように、その変化についていけず、虚無感に苛まれる人間。
 それが、戦争直後の姿を、描いているんだな・・・と思った。

 父親は、日本が、軍国主義へと傾倒していく状況の中、
息子に、
「目立ったことはせず、じっと、この世界に何があるか見ているんだ」という。
「すべてが終わった時、恥じる人間になってはならない」とも言う。
 
その言葉に、家族を守ろうという父親の、気持ちが伝わってきた。

あの時代、確かに、戦争にすべてを賭けていた人もいたに違いないが、
父親であった人々にとって、
やはり、守るべきは、家族であったと思う。
 こんな風に、声を潜めて、
「今は、目立つことはするな。我慢の時」と家族にそう呟いた父親・母親は多かったんじゃないかな・・・と思った。

 少年Hの父親は、あのような時代であっても、冷静であった。
正義感だけでは、立ち行かない事もあるということを知っていた。
 上手に賢く、この時代を生きていくことも大切であるが、
間違ったことはしてはならない・・・と子どもに教えた。
 しかしながら、父親自身も自分に言い聞かせていたように思う。
理不尽であっても、そういう時代を受け入れていくしかない・・・
 そんな戸惑いも、非常にリアルだった。

ただ、そんな風に、上手に生きながらも、
信念を守り抜く大切さも伝えている。
 あの状況であっても、クリスチャンである妻に、教会通いを止めようとはしない。
「異宗教を邪教と呼ぶなら、あんたの神も、他の宗教からしたら、
邪教になるんとちゃうか?」と優しく妻を諭す。
 どんな時も、冷静な目で、物事を考える姿勢に、
学ぶべきことがある。

 この父親の存在感は、圧巻だ。
少年Hの少年らしい、素直で純粋な、濁りのない目でみた光景は、
この父親に育てられたからだと、合点がいく。

 父親の表情一つ一つ、言葉一つ一つが、
ストンと心に落ちていくようである。


「これからの時代は、あんたらやで。
よく物事を見ておくんや」

 混沌とする福島原発問題。
56年振りに沸く、東京オリンピック。

状況は違えど、
あらゆる理不尽さ や、喪失感
喜びや、盛り上がる興奮
 様々な情報と その信憑性

 などが、錯綜している世の中。
そんな中でも、
冷静に、物事を見るのだ・・・・

どんな世の中でも、共通していることかも知れない。
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