SatoshiFujiwara

THE DEAD CLASS/死の教室のSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

THE DEAD CLASS/死の教室(1976年製作の映画)
4.3
ポーランド映画祭2019

タデウシュ・カントル、名前は有名だが最近はその演劇作品を観る機会がなかなかなくぜひ何か観たいと思っていた訳でして、代表作と言われている『死の教室』の舞台をワイダが撮っていたこれ、存在は知っていましたがこの度ポーランド映画祭にかかってありがたいことです。

教会の地下室というようなイメージの密室。山高帽と燕尾のような一見チャップリンを思わせる出で立ちで顔を灰色に塗りたくった中年〜初老の男女がやはり教会の席のような場所に座り、じきに1人が右手を上げて奇天烈な動きを始めるとそれが周囲に伝染し仕組まれたカオティックな群舞が開始される。それ自体では意味のないナンセンスなセリフ及び非言語的音声を断続的あるいは高速でまくしたてるが、彼ら彼女らの中にカントルその人が普通の格好で紛れて芝居を延々と見守っており、顎に手を当ててじっとしていたかと思えば指揮者のように全体を導くような動きを見せたり、これがなんとも言えない面白さなんである。カントルの動きと芝居の因果関係がわからないし予想が付かない。ふざけてんのかよ。

で、先に記した男女は山海塾かはたまた大駱駝艦かというような動きで一旦後方に退いたかと思うと自身の幼少時の人形を抱いて再登場する。要はこの人生の半ばを過ぎた男女はその実もはや死んでいて、それぞれの過去と今現在の生(死?)の様相が並列して「平凡に」陳列されている。その芝居は徹底して「外面」の効果を追求していて、だからこれはベケットやイヨネスコにも連なる「空虚な演劇」たり得ている。その空虚さは実に爽やかであって湿った情緒(内面の心理とやら)とは一線を画す。だから『死の教室』なんて陰惨な題名がついているこの演劇は観ていて実に笑えてコミカルですらある(とは言えドイツ国歌をドイツ語で唐突に繰り返し歌うところはどうしても戦争、ユダヤ人及び強制収容所の記憶が呼び覚まされるし、反復されるメランコリックなワルツはノスタルジ ーを呼び起こす)。「訳がわからん」とホールのおねえちゃんにぶつくさ言っていたじいさまがいたが、難解とか言う前にとにかく面白いじゃないの。こーゆーの受け付けない人は受け付けないんだろうか。

途中、暗い地下から爽やかな晴天の野外に男女がもんどりうって出て行くシーンがあるがこれはワイダの創作部分だろうか。傍らにある地下と同じような椅子にはそれぞれの人形が整然と腰掛けている。
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