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ゼロ・グラビティのmofaのネタバレレビュー・内容・結末

ゼロ・グラビティ(2013年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

【内容より映像】

この映画こそ、映画館で観るべき作品ではないでしょうか。

 映像で、ビックリした記憶といえば、
「ジュラシック・パーク」「アバター」であるが、
本作品も、充分に視覚でもって、
宇宙を体感、その世界観を観る者に与えてくれる。

 サンドラ・ブロックと、ジョージ・クルーニーの2人立ち・・・と
思っていたら、そうではないようで、
途中から、サンドラ・ブロック一人芝居のような状態。
 でも、それが良かったかな・・・と思う。

いつもの皮肉屋で余裕しゃくしゃくのジョージ・クルーニーが、
生存者として生き残り続けたら、
この映画は、完全な娯楽映画になっていただろう。

 年をとったサンドラ・ブロックを生存者として一人残したことが、
良かったように思う。

 サンドラ・ブロック演じるストーン博士は、
宇宙での仕事に余裕はなく、作業する中で、焦燥感を募らせているようにも見える。
宇宙の中でのトラブルで、彼女は、
人に頼るしか無い。
 冷静沈着とは程遠く、コワルスキーと離れるときも、
彼を死なせたくない・・・というよりは、
「私を一人にしないで」という懇願に近かった。

そんな彼女は、娘を失った悲しみや虚無感と、
徐々にリンクしていく。
 地球に還っても、会いたい人などいない・・・・

1度は死を決意するが、
宇宙に消えたはずのコワルスキーの幻に叱咤激励されて、
地球に帰還すると決意する。

 「私は逃げない」

ストーン博士は、苦難を乗り越え、帰還する。
地球の大地に足を踏みしめる。
 それは、この苦難を経験したことで、自らの過去から、
やっと立ち直れた瞬間だったのではないかと思うのだ。

 強い人間が、宇宙の苦難に打ち勝ったという話ではなく、
この苦難によって、自らを立ち直らせたという事ではないか。
 いわば、彼女にとって、再生の物語なのである。

 舞台が、宇宙であることから、
正直、どれもこれも凄過ぎて、どこが盛り上がりか、
よく分からない。
 ジョージ・クルーニーが、鉄腕アトムよろしく宇宙遊泳している場面も、
私には、
「今の、宇宙事情は、ここまで来てるわけなん??」とびっくらこいたし、
宇宙という世界で、何が、普通で、何が凄いことなのか判別に困る。
 おかげで、コワルスキーの幻の場面も、つい、ホントに、

ジョージ・クルーニー生きてたん???

・・・と喜んでしまいましたがな。
 あの場面が、幻と知った時の驚きは、
「シックス・センス」に通じるものがあった(私だけ?)

ストーン博士が、説明書を読みながら、機体を動かすシーンも、
「そんな簡単なもんなん?」と思ったりするが、
宇宙の世界って、案外、そんなテキトーな感じなのか?と。

・・という事で、観ようによっては、
有り得ん話の連続・・・とも思うだろうし、
私みたいに、単純な人間は、「ふむふむ、そんなモノか・・」と案外、
すんなり受け入れられるのかも。

 まー。
娘を失い、地球に待ってる人間はいない・・・
というストーン博士が、何としてでも地球に帰還する・・という決意に至る過程は、イマイチ伝わってこなかった。
 コワルスキーの幻が、そうさせたんだろうけど。

「生きて、還るんだ」という強い一言が、
人間の持つ生命力に繋がったのかな。
 そういうものなのもしれない。

「生きろ」

 ストーン博士は、その一言で、
覚醒したのかも知れない。
 それは、その瞬間的なものではなく、
娘を失い、長らく、その殻に閉じこもっていた自分から。
 娘の死から、逃げてきた自分との決別。

「ママは、もう逃げない」
その言葉が、それを表しているように思えた。

 私は好きかな。
好みは人それぞれかも知れないけど、
興味あるなら、是非、3Dで劇場で観るべきだと。
 DVDだと、「映画館で観ればよかった・・・」と後悔しそうな映像美でした。
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