近本光司

悪夢の香りの近本光司のレビュー・感想・評価

悪夢の香り(1977年製作の映画)
4.5
人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である。あまりにも有名なニーム・アームストロングの箴言を前に、タヒミックはわれわれにたいして判断留保を促す。ここでいう人類とは誰のことか。誰にとっての飛躍なのか。この映画がすばらしいのは、そうした問いの生成からひとつの結論に辿り着くまでの行程そのものが描かれていることである。たったひとつの石橋が外界との交通路だった山村に育ったタヒミックにとって、アメリカは途方もなく巨大で、輝かしい未来の代名詞にほかならなかった。聖母マリアの図像の隣に貼り付けたミス・ユニバースの写真を舐めるように眺め、トランジスタ・ラジオから流れる「ヴォイス・オブ・アメリカ」が語る数々の固有名詞に心を躍らせ、いつかアメリカにわたって大金持ちになる日を夢見て、彼はアメリカーノの導きにしたがってルソン島を飛びだし、まずはパリへと渡る。しかしパリで彼を待ち受けていたのは、すべてが人間の身の丈に合わないほど「スーパー」になりつつある世界である。屋台を駆逐して新たに建造されるスーパーマーケット。そのうちで何百人も暮らせそうなほど巨大な煙突。コンコルド、あるいはジャンボジェット機。そのすべてが故郷で馴染みのあったサイズとは見合わないものだった。西欧という資本主義の蔓延する世界のうちで自らの小ささを痛感したタヒミックは、かつて父親がアメリカ兵に向けて最期の抵抗を見せたように、口から強大な彼らを薙ぎ倒すほどの風を吹かせてみせる。そのいみで、これは真に革命的な映画である。あらゆる人間が踏み出す一歩の幅に大差はなくとも、ひとが志す革命の射程はどこまでも長くありうる。タヒミックはカメラを他者に向けるのではなく、あくまで世界のうちにある自分を撮ることによって、世界と自分との距離を転覆させようと試みた。アメリカ兵がくれたチューイングガムとフィリピンの水牛の美しさはほとんど同じであるということ、そして映画がそのような革命的な力をもつことにやがて彼は気づいたのだった。傑作。