むっしゅたいやき

終わりゆく一日のむっしゅたいやきのレビュー・感想・評価

終わりゆく一日(2011年製作の映画)
3.5
人来たり、人立ち去りぬ。
トーマス・イムバッハ。
バシュラールの言う“縦横”の時間軸を敢えてずらす事で、鑑賞者へ想像を促す作品である。

本作は三つの要素から成り立っている。
一つは監督であるイムバッハが撮り貯めた、チューリヒ郊外の彼のアトリエから眺める景色。
此処ではかの地のランドマークであろう巨大な煙突と櫛比するビル群、そして後半では建設されゆく高層ビル、街ゆく人々を映し出す事で、時の経過を示している。
また、その際0.5〜3.0倍程へとフィルムスピードを変える事で、監督(作中に於いては、“T.”)の「時の流れ」への実感を表現している点は興味深い。

構成要素の二つ目は、彼のアトリエの固定電話に録音された、15年間分の留守番電話テープ。
ホームムービーのも、この要素となろう。
家族からの愛情の篭った挨拶から、その死、息子の誕生、映画書の受賞、妻との別離と、対話音声のみで語られるこの要素は、主体が「それを聴く」事が現在であり、その音声が現在時点で既に何ら進展・退廃しない物である以上、“思い出”たる事を免れない。

そして三つ目の構成要素は、ランダムに挿入される、楽曲である。
本作は劇作品では無い為、挿入の意図としては「現在の」監督が、当時を振り返った際の心中を表現したものと理解される。
劇中一切登場せず、一つ目、二つ目の要素に拠って、言い換えれば無味乾燥した「風景を見ている者」「留守録を聴いている者」であり、伝聞のみによって想像された“主人公たる映画監督・T.”が、初めて三つ目の要素に依って血肉の通った「人間」として想像され得る。
構成として頗る能く練られているのであるが、反面、飽くまで此処での心中とは「当時の」物では無く、「現在時点で」、当時を振り返った心中の描写であり、当時のT.の心中を正確な描写を担保してはいない点には注意を要する。

以上を考えれば、本作は即ち一人の男の15年間を、「流れ、線としての時間」と「点としての過去」を以て現在時点から振り返る、極めて外向きで私的なポートレート作品であると言えよう。

正直な所、個人的に一つ目、二つ目の要素のみで構成されるのであれば、素晴らしい着想・着眼点でもあり、もっと評価を高くした。
が、劇伴が煩く、而も私に想像され得る“当時の”T.の心境とはかけ離れている物も多く有り、「主人公の存在を鑑賞者の想像へ委ねる」と言い条、其の方向性を恣意的に指し示す手法には、ドキュメンタリー好きとして少々残念な感がある。
私の評価は、このスコアとする。
むっしゅたいやき

むっしゅたいやき