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少女は自転車にのってのmazdaのレビュー・感想・評価

少女は自転車にのって(2012年製作の映画)
3.8
"自転車に乗ったら妊娠できないよ"

サウジアラビア初の女性監督の映画。
この映画ができた時女性のやる職業ではないという批判があったり、そもそも2013年だというのに娯楽規制でサウジには1つも映画館がなかった。その状況でこの内容の映画を作ったと聞けば作ろうと思ったことにまずすごいと思ってしまう。

宗教が縛る厳しさを表した映画では最近見たインド映画の『シークレットスーパースター』と似ていたけどサウジのイスラム教はあれよりもさらに厳しい。
昔イスラム教の根強い国で観光客が撮った写真にたまたま結婚前の女性が顔がしっかりわかるほど写り込みそれが絵葉書になってしまい、一族の恥だ、お前と結婚したいと思う奴はもういないだろうと言われたことが実際にあったらしい。同じイスラム教でもヒジャブをかぶらず成人すればお酒を飲みクラブに行き写真だって撮るゆるい国もたくさんあるがサウジのイスラム教は、この絵葉書の話と恐らく同じくらい厳しいだろう。
肌どころか声も男性に聞かれたらどうするの?と言われ、雑誌を読んでも怒られる。膝にちょこっと怪我をすれば女の子なのに、、!って。そもそも足なんて出さずに毎日生活してるのに。スニーカーもダメと言われ少女はスニーカーの白い部分をマジックで塗っていた。

留学の時知り合ったイスラム教の友達に、文化の違いという好奇心で宗教観を軽く聞いたことがあった。
ヒジャブがだんだん崩れてきて髪が見えてしまうことだってあるんじゃないの?と聞くと、そういうこともあるけど、それは下着を見られる感覚に近いと。つまり髪がポロリだ。
この映画の主人公の少女は決して自分の宗教を嫌と思ってるわけではないが年頃でやや反抗期も入り、ヒジャブの巻き方も目しか出さない母に対して少女はパーカーのフードを軽くかぶってるようなレベルの巻き方でめちゃめちゃいい加減。走ってる間にとれても全然気にしない。スカートのまま鉄棒で遊んじゃう女の子のような感じ。気にする人間からすればはしたなく見える。

その国の文化をあーだこーだ言うつもりはないし、まして無宗教の自分が他の宗教について私の主観で間違いだと述べるのは危険だ。
でも結局生まれた時にどう教えられたかが全てだと思う。どんなにまじかよと思う宗教でも生まれた時にそれが正しいと教えられれば誰だってそういう考えになってしまう。
友達を叩いてはいけない、人を傷つけてはいけない。何故それをしてはいけないかもすごく小さな時に教えられ理由もその時に理解したから、人を傷つける誰かを見て間違っていると感じる。
911のテロリストは物心がついた時からこのテロの目的を教えられてきた。彼等の道徳の教科書には人を傷つけてはいけないという教えはそもそも載っていない。911は絶対起きてはいけなかったというのは大前提であるけれどそれでも結局、生まれた時から親や周りにそう教えられそのために生きていると習えば、誰だって同じようにしてしまうかもしれない。

もし良いことも悪いことも何も教えないと子供はどう育つのか?この映画を見てとても気になった。
それはそれで危険なのだが、例えば作中の少女が母親の美しい歌声を聞いて歌手になればいいのに!と思う感覚は、これまで教えられてきた善し悪しとは何も関係のない彼女の正直な感覚だ。それでも返答が、そんなことできるわけないでしょ。そんなこと言ってはダメと言われればそこでまた彼女は新たに良いことと悪いことを学ぶ。次に女性の歌声を素晴らしいと思ってもその時歌手になったら?という発想はなくなっている。それは悪い発想と学んだからだ。

少女の努力で手にした金を、何に使うのと聞かれ自転車と答えれば、叱られ寄付しなさいと言われる。『沈黙-サイレンス-』を思い出す。それは本当に神の教えなのか?神はこんなことも許してくれないのか?神はそんなに心が狭いだろうか?でもそれを狭い心と感じるのは私が無宗教だからだろう。

出演者全員サウジの人で女性がかなりたくさん出ているが、そもそもサウジ女性は目しか出さないニカブ(調べるまでぜんぶヒジャブと呼ぶのかと思ってた)を着てる人しか見たことがなかったため、サウジ女性のニカブの下の容姿のイメージがまったくなくて素顔に驚いた。
いわゆる中東系のイメージだったけど、トルコのようにヨーロッパかな?と思う顔立ちの人もいれば、アフリカ系に近い人までいて結構バラバラだった。

この映画に関わった全ての人の家族や友人は、自分の大切な人の顔が世界中に知れ渡ることをどう思うのか。ストーリー以上にサウジの生活や文化がわかるすごく興味深い映画だった。
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