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ゼウスの法廷のkuuのレビュー・感想・評価

ゼウスの法廷(2013年製作の映画)
1.0
『ゼウスの法廷』
製作年 2013年。上映時間 136分。
エリート判事とその婚約者を主人公に、恋人同士から裁く側と裁かれる側になった男女の葛藤と心の変化を描いたサスペンス。
塩谷瞬が若き判事役に、小島聖が婚約者の女性役に扮する。監督は高橋玄。

若きエリート判事・加納と婚約した平凡な女性・恵。
激務に追われる加納との暮らしに不安を感じた彼女は、同窓会で再会した元恋人・山岡と密会を重ねるように。
しかし事故で山岡を死なせてしまい、恵は重過失致死罪で起訴される。加納は自ら志願して彼女の裁判を担当することになるが。。。

痴話喧嘩、基本的に、『痴話』の『痴』の意味はおろかということがあるけど、今作品においては、(あくまでも映画にするぼどってとこで)たわいもない、些細なという意味の夫婦のゴタゴタと、愛の確認を刑事事件法廷ですんなよ。
しかも、裁判官と云う職を利用して。
家庭裁判所でやれよ。
それかテーブル挟んでスイーツ食いながら本音で話せよ。
無理なら別れたらええやんか。
『現代の裁判制度を問う社会派ドラマ』なんて大袈裟な。
塩谷瞬のみ声出てなかったし、後でサウンドエフェクト吹き替えにしたんかなぁ。
どうも、腹のたつ映画やった。

あと、視聴後に監督のインタビューに

『裁判官にとって 「裁判」 は、 完全に「仕事」 で、効率重視であることが描かれています。 裁判官に正義感を求めるのは間違いなんでしょうか?』

って質問に監督はこう答えてる。

『学校で法律の勉強をして、 法律が正義とは関係ないことが分かっている人たちですからね。
彼らは正義の番人ではなく、法律に基づいて法律を運用しているだけのこと。
弁護士も“弱い者の味方”と思われがちですが、 お金をくれる人の味方です、そういう職業ですから。
正義と は無関係に法律をどう運用するか。
映画の中でも描いて いますが、 月に300件ほどの裁判を抱える激務を耐えるモチベーションは安定した収入でしょう。
野心がなくとも日々粛々と仕事をこなすだけで生活が保障される。
裁判官というのはそういう理由があってこその職業だと思うんです。
でも、司法の縦関係は深刻な問題ですよね。
裁判官に縦関係はあってはいけないはず。
裁判官は憲法上、職権が独人となっているから、組織になりようがないはずなんです。
でも現実はあって、なぜか組織防衛という言葉を使うんです。
この映画を作る上で、そういった矛盾を告発したい 思いもテーマとしてあったんでしょうか?』

って監督よ!
対立する物事から新しい見識を見いだし、訴えたいモノがあったならいざ知らず、偏った考えのみ触れ、モノを述べ、モノを作っとんのかい💢

また、
『塩谷さんが演じる裁判官は、自分を“ゼウス”と勘違いしているようなシーンもありましたね』

てのの質問に

『ゼウス=裁判官という意味に捉える方が多いと思います。』 

って、応えとるが、もちろんその意味もあるが、実際にゼウス=裁判官と結び付ける日本人はあんま居らんと思うがなぁ監督よ。
また、監督はインタビューを続け、

『ゼウスというのは神話の中での話で本当は“存在していない” という意味なんです。
裁判官を権力として見ているのは我々の方で あって、 実際はただの職業なんです。
人の自由を拘束で きるという特殊な職権がありますが、ただの職業。
そういう意味で権力者なんていない。
ゼウスという実在しないものを恐れているし、実在しないものを叩こうとしているのではないかと。』

監督は、ゼウスと、テミス<Θεμιs=Themis>を間違ってて、そのまま作品撮ったんか?
因みに、テミスはギリシャ神話に登場する法と秩序の神(ローマ神話のユスティティアとも同一視されています)。
天秤をもっているところから、「公平」に関係する像なのかな、ということまではおおよそ想像がつくかもしれません。この像は、裁判所・弁護士の机の上などでみかける女性の像っすね。
『テミスの法廷』でええやん。
嗚呼腹のたつ。。。
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