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嗚呼!おんなたち 猥歌のろくのレビュー・感想・評価

嗚呼!おんなたち 猥歌(1981年製作の映画)
4.5
シュキナベイビナァ⑤(LAST!)

結局内田裕也とはなんだったんだろうか問題である。

「内田裕也恰好いい!」というセリフもたまに聞くけどほんとうだろうか。いつも高い声でシュキナベイベーと訳わからないことを言い(あまつさえそれをビージー4に真似され)、樹木希林にはいいように転がされ(内田の株が下がり樹木の株が上がる)、老齢になると都知事選に出馬し(そして落選し)、白髪ハゲと言う謎の髪型をして(ほとんどライオン丸)、いたるとこで喧嘩を吹っ掛ける困ったジジィに成り下がった。

そう内田は昔から「滑稽」だったんだ。

決して恰好よくはないの。そして滑稽なのを内田だけは分かってない。だから内田は180度転換して「恰好いい」という謎の称号をもらうようになる。

この映画だ。神代はその内田の「滑稽さ」を十二分に映す。風呂に入りながらパンを食い、電話をしながら便器で用を足し、さらには女どもにいいように扱われて。内田が暴力的になればなるほど、神代はにやにや笑う。どうです、内田は恰好いいフリをしているけどただ滑稽なだけですよねって。

でも神代イズムでそこが面白い。人間は恰好よくはないんだよ。所詮死ぬまでの滑稽な困った生き物なんだ。だから観てみな、内田は隠している「あなた」だから、ロックンロールとかほざいているけど、そんなの薄っぺらな言葉でしかないんだよ。そこにあるのは鴨長明的なニヒリズムだ。そしてそのニヒリズムにニヤニヤさせられてしまう。

最初2人の女(ソープ嬢と看護婦)に言い寄られる内田だが後半になるとその二人が「共闘」する。二人がマットプレイに興じる中、内田は警察の留置場に入れられている(その哀れな、そして可笑しいこと!)。暴力的で我儘な内田は釈迦の手の中でもがく孫悟空と同じだ。ただ哀れで(でもそれこそ人間なんだよ!)滑稽でしかない。

この映画の最後の顛末なんか見事である。神代は内田にもっとも滑稽な役どころを用意してみた。それはこの映画を観てみればわかるだろう。一番、マチズムである内田がまさかそんなことを、しかもそれを粛々とこなしている。僕は手を叩いて大笑いしてしまった。神代の面目躍如である。

内田は結局「恰好つけよう」として「恰好つかない」自分だ。だから滑稽であるけど、それを僕らに示唆するトリックスター的存在だと思う。そして僕らはいつも「恰好つかない」からこそ内田を観てニヤニヤしてしまう。そこに共感を感じる。それがどんなに暴力的であったとしてもだ。

※今回で内田シリーズはおしまい。5本のうち4本は再視聴だったけど、改めて内田の映画は面白いと再確認した。どの作品も評価とは別に「面白い」、それは今の俳優では決して出せない「無茶苦茶さ」を内田が体現しているからかもしれない。

※5本の中でも神代映画であることもあってかこの作品が大好きだ。内田映画であるけどそれに負けてないくらい「神代映画」でもある。「開け!チューリップ」や「悶絶!どんでん返し」などとともに神代の「愉快」が突き抜けている作品だ。

※この映画はどこをとっても面白いが特にやたら服を引きちぎる安岡力也がなんとも言えない。怒りが頂点に達すると服を引きちぎって半裸になるシーンに何度笑わせてもらったか。「なんだこれ」って突っ込みがこの映画には合っている。
ろく

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