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ソロモンの偽証 後篇・裁判のkuuのレビュー・感想・評価

3.8
『ソロモンの偽証 後編・裁判』
映倫区分G.
製作年2015年。上映時間146分。

宮部みゆきが作家生活25年の集大成として9年間にわたり連載して書き上げたミステリー巨編『ソロモンの偽証』を、成島出監督が映画化した2部作の後編。

男子生徒・柏木卓也の死から始まった一連の事件に揺れる城東第三中学校で、前代未聞となる子どもによる子どもだけの校内裁判が行われることになった。
告発状によって柏木卓也殺害の嫌疑をかけられた問題児の大出俊次を被告に、校内裁判の提案者である藤野涼子は、検事として大出の有罪を立証しようとする。
対して、他校生でありながら裁判に参加する神原和彦は大出の弁護人となり、涼子と対峙する。
さまざまな思惑が絡まり合う中、涼子らは必死で真相を究明しようとするが。。。

後編エンディングのU2、“With or Without You”聴きながらじーんと来たなぁ。
天涯孤独の身としては家族愛に弱いねんなぁこれが。

偖、今作品後編はってえと、中学校で生徒が亡くなってもた事件の真相を解明すっため、同級生達が有志で学校内裁判を行うというもの。
今の日本の司法家よこれを観て何を学ぶか。
確かに裁判における弁証法の正-反-合の動きについては、安易な技術論と勘違いされることが多い
『異なった価値観を持つ人間同士の議論によって、コミュニケーションの基本となる相手の立場や気持ちを感得する能力が育つ』
『意見の違う人と議論することにより、現代における価値観の対立により発生する問題の解決には色々な選択肢があることが理解でき、新たな解答が生み出される』といった類の言説など勘違いされやすい。
せや、結論先取り、結論先にありきの対決において、いかにして反対意見を尊重し、多様性を認められると云うんや。
行き着く先は、
他人の誹謗中傷、
発言者の人格批判、
細かい表現上の揚げ足取り、
重箱の隅をつつく嫌がらせ等々。
小姑かい!
こないなもんは最初から弁証法ちゃう。
だからこそ、学校内裁判は、このジレンマに陥ってるとこを、司法家が観とるんならば見逃さずに。
裁判に真摯に向き合って欲しいかな。今作品を宮部が出した時期が
『裁判員制度』の始まる前やったんちゃうかな。
生徒達がやっとる裁判は、米式の陪審制度を参考にしとる方式で行われてた。
来るべき裁判員制度を見据えた内容だったと以前小説読んでたときに感じてたん思い出しつつ鑑賞。
殺れてもうたんは、原作でも、この映画でも人物。
特に中学生の心情描写やね。
昔を思い返すせば、中学生は、多感やけれども、あれやこれやを説明すっだけの経験や言葉を持ち合わせてへん時期やと思う。
今なら、当時の曖昧模糊とした、己の感情を振り返って、それらに何らかの言葉を与えることは少なくともでけっけど、きっと宮部はこの作品を書くにあたって、登場人物の(架空生徒達)にインタビューをして、聞き取った内容を整理し、それらに的確な言葉を与えるという作業を行っていったんちゃうかな。
全て、独りで!モチのロン、登場人物は作者の創作した架空の人物やし。 
それは分かっちゃいるけど、やっぱ小生
は、作者がそれぞれの登場人物に粘り強く語りかけ、引き出した彼ら彼女らの生々しく偽りのない(せや、混沌とした)感情に秩序や形を与え、それらを記録していった結果がこの作品のように思えててきてる。
これだけの大量の『資料』を捌き、文章を構築すると云う一流ジャーナリストとしての腕と、そもそも『資料』自体作者の創造やし、文学者としての知性、才能かな。
そればかりではなく、この映画がええのは、大人が分かったように
『それはこう云うことなんや。 
いずれ君も大人になればわかるて』
と上から目線で語らないと云う姿勢かな。
過ちを犯したガキ、
責任を感じて苦しむガキ、
無関心を装うガキ、
全員に対して宮部の眼差しは、
常に温かいし、
優しく、
平等、
ほんで厳しい。
ストーリーとしては無理や不自然な部分もあるのは否めないけど、それでも今作品をエエもんやと思えるのは、物語としてのリアリティや仕掛けよりも、作者の真摯な眼差しを感じるからです。
しつこいけど、もし司法家が観てるならば、そんな真摯な目で裁判に当たってほしいと。。。
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