毛玉

いま、輝くときにの毛玉のレビュー・感想・評価

いま、輝くときに(2013年製作の映画)
4.1
【片田舎のクズは明日をどう生きるか】

サッターには魅力的なガールフレンドがいた。サッター曰く、周囲の憧れのカップルだった。強い酒を持ち歩き、ろくに勉強をせず、人と真剣に関わることなく「今を生きようぜ」と息を巻く。そんな彼が、軽い気持ちで手を出した女の子と卒業をきっかけに少しずつ変化していく…。
登場する俳優が軒並み最高で、派手さはないものの地に足のついた脚本が彼らを輝かせます。特に主人公のマイルズ・テラーの絶妙なクソ野郎加減には、はらわたを煮えくり返しながら拍手したいです。


地方出身の僕の地元にもこういう奴がいました。「今が楽しければなんでもいい」「ちょっかい出していい感じになったら付き合う」といって周囲から疎まれていく人が。この映画は好きですが、主人公は最初から最後まで嫌いでした。ムカついて観るのをやめたくなるほどではないのですが、ずっとなんかムカつくのです。もしかしたら、それは同族嫌悪なのかもしれません。

主人公のサッターは、酒を常に携行して高校生活を楽しむちゃらんぽらんな奴です。パーティーには必ず顔を出して、自慢の彼女と楽しくいちゃつきます。そして、童貞の友人に女の子をくっつけようとします。これがきっかけで彼女と別れることになったサッター。元カノに新しい彼ができても、色目を使い、まだ彼女に気があると思い込みます(実際ちょっとあったのですが)。その状態のまま、少しオタク気質な女の子に出会い、デートを重ねます。積極的にアクションを起こしながらも、その女の子がその気になると距離をとるのです。
クズですが、同時に思春期の男子がやりかねない範囲を出ていないのが本作のニクイところです。僕も根っこから清廉潔白な人間ではないので、嫌悪感を抱きながらサッターに共感してしまうところもありました。

クズのサッターに周りの大人はどんな対応をするのか。母は愛のある説教をしてくれますが、サッターははぐらかすだけ。記憶の中の父を美化して会いにいくも、その父は…。仕事先の上司はいい人でしたが、叱ってはくれませんでした。
サッターは、自分が1番可愛くて失敗することが怖いのです。だから何にも本気にならず、自分を通してでしか人を大切にしません。ここの辺りが、僕が共感してしまう部分です。僕も自己中心的で、物事に本気になることがありません。小さい頃からそうでした。終始世界線の違う自分を見ているようで、サッターのにやけ面を見るだけで吐きそうでした。
ラストシーンの終わり方は、少し変化した(かもしれない)サッターにとってハッピーエンドなのかバッドエンドなのかわからない感じになっていました。僕から言わせれば、会いに行ってる時点でバッドエンドなのですが(でもこれも気持ちがすごくわかるから気持ち悪い)。この辺りの男の絶妙な共感をくすぐる感じが、さすが『(500)日のサマー』の脚本家という感じです。ほんと、イヤな仕事します。

映画としては好きでした。撮り方はシンプルながらアイデアもあって、見やすく作られていましたし、役者さんたちの演技は全員最高でした。音楽も良かったです。
ただ、主人公だけはマジで嫌いです。自分の嫌いなところに愛嬌をつけただけ(それもほぼ僕なのかも)のサッターはもう見たくないです。
大人になってから見返して、どんな感想に変わるのか楽しみな映画です。
男子諸君、観てください。彼女とは観ないように。
そこまでおすすめはしませんが、好きな映画になりました。
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