このレビューはネタバレを含みます
才能のある人間の才能を引き出すには、生半可な事ではできないという事を示した作品。
指導者として才能を見抜き、その人間を突き放し、辛くあたりながらも、なんとか才能を引き出すというのがいかに難しいことか!
時代が変わると確かにスタイルは変わるだろう。しかし、才能は引き出されなければ、自分一人ではなかなか才能を出し切ることは出来ないことを示しているように感じる。それは、相手の魂を極限まで揺さぶらないと、その扉は開かないかのように。
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音楽をする理由があるんだろ?
☆
私がシェイファーで指揮をやっていたのは、期待以上に生徒を押し上げたかった。そうしないと生まれないんだ。次のサッチモも、チャーリーパーカーも。
パーカーがバードになった理由を前に話したよな。シンバルを投げつけられたからだ。10代ですでにプロだったパーカーは、ジャムセッションに飛び入りし、ヘマをした。ジョー・ジョーンズにシンバルを投げられ笑いものになって引っ込んだ。その夜一晩泣いて翌朝から何をしたか? 練習だよ。
一つの誓いを胸に、ひたすら練習に没頭した。2度と笑い物にならないって。一年後リノクラブに入り、因縁のステージに立った彼は史上最高のサックスソロを披露したんだ。
もしジョーンズがこう言ってたら。「気にするなチャーリー、良かった。上出来だ」 きっとパーカーは上出来だ、で満足して終わり。バードは生まれていない。そうなったら究極の悲劇だった。
だけど時代は変わった。どおりでジャズが死んでゆくわけだ。嘆かわしい。おしゃれなカフェで売っているジャズアルバムがそれを証明しているだろう。
この世の中で何より危険な言葉を教えてやろう。「上出来だ」だよ。
… でもあなたは、やりすぎたお陰で、次のチャーリーパーカーを挫折させたかもしれない。
それはあり得ない。次のパーカーは、何があっても挫折しない。
正直に言うと私には育てられなかった。努力はしたがね。だれにも負けないくらい、ガムシャラに。並の教師にはできない真似だ。それについて謝罪しない。それほどに努力をした。
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この話を聞いたニーマンはフレッチャーからバンドのドラマーが良くないから来てくれと言われて行き舞台に立つ。すると、フレッチャーがニーマンに近寄り「私を舐めるなよ、密告はオマエだ」
そしてその直後、ニーマンにとって全く予定外の、自分が叩けない曲が始まり、ニーマンはいきなり笑い物にされた。そして、フレッチャーはニーマンに言う「オマエには才能がない!」
ここで一度ニーマンは退場するが、すぐに戻り、フレッチャーが次の曲を紹介し終わらないうちにドラムを叩き出す。そしてニーマン主導で曲が始まり、ニーマンは最高のパフォーマンスを演じ切る。
フレッチャーは、ジョー・ジョーンズがパーカーにシンバルを投げるが如くニーマンに辱めを与えても、ニーマンもそれを受けて立ち、ついに演者としてのニーマンも、指導者としてのフレッチャーも最後に極みに立てたのだ!
生涯の数本に入るくらいの素晴らしい作品であるだと感じた。