ちょげみ

シン・ゴジラのちょげみのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
3.9
【あらすじ】
東京湾アクアラインのトンネルが崩壊する事故、東京湾にて謎の水飛沫が噴出するというアクシデントが立て続けに発生し、急遽政府の緊急会議が開かれる。
そこでは巨大な生物が東京湾にて潜んでいる可能性があるため早急に対処すべきだという意見も進言されたが、政府の役人達はその意見には目もくれず、なんの意思決定もなされずにその会議は終了した。
しかし、その後すぐに生物の尻尾らしきものが海面より出現、その巨大生物は侵攻を始める。
政府が事態を静観する中、ついにその生物は街に上陸し、建物を破壊しながら突き進み。。。


【感想】
「つまりゴジラは人類の存在を脅かす脅威であり、人類に無限の物理的な可能性を示唆する福音でもあるということか。」

手を変え品を変え、様々な物語に変換されながら描き続かれてきたゴジラ。

本作では巨大生物が日本に上陸し市民の生活が脅かされた時、日本政府がどのように対応するか、という政治面にフォーカスを当てて描かれていました。

そして、日本政府の前に立ちはだかるのは"意思を持つ自然災害"であるゴジラ。


一見人間vsゴジラの戦いは生態系の頂点を決める、雌雄を決する総力戦のように見えるのですが、ゴジラはただ単に生存本能に突き動かされて日本な上陸しただけなので、両者とも自分(自分たちの種)を存続させようとするだけの防衛戦という言い方をした方が正確なのかな。

兎にも角にも今までのゴジラシリーズとは一線を画す描かれ方をしていた本作(といってもゴジラの映画をそんなに見ているわけではないから断言はできないけど)、ゴジラと人間それぞれも今までの作品とは異なる味わい深い描写がされています。



●ゴジラ

アメリカで作られた「モンスター・ヴァースシリーズ」のように"世界に調和をもたらす存在"としてヒロイックに、過度に美化されて描かれているのではなく、ただの一つの巨大生物、人間から見て"生きた災害"と形容するに相応しい存在として登場しています。

実際、何かの意思、あるいは悪意を持って人間に相対するのではなく、自身の本能に任せて行動して人間からの攻撃に対して反撃を行うことから、"人間が壊した生態系に対して警告を行うため天より使わされた使者"ではないことは確かです。


今作のゴジラの最大の魅力は形態変化と全てを破壊し尽くすビーム。

地を這う忌々しい怪物から不完全さを残す立ち姿へ、そして圧倒的な質量と威容を感じさせる最終形態へと変容していく行程にはボルテージが上がりっぱなしでした。

そして一番の見どころであるゴジラがアメリカ軍を瞬殺するシーン。

目がコーティングされ、その後吐き出された火炎がビームに変化し戦闘機を焼き払う様。
今までノロノロしているゴジラにハラハラされながらも少なからず落胆していた中で、為にためて放たれた破壊の限りを尽くすビーム、その破壊力と爽快感は最高のカタルシスを感じさせてくれます。


●人間

驚いた事に今作品では人間ドラマというのが一切ありません。
よくある大きな力に引き裂かれる家族の物語、友情、はたまた恋人達の物語などは一切描かれず、ただ"巨大災害に対して一丸になって立ち向かう人間"を描き切る事に終始していたかな。

日本という国を維持するため定めされたルール、システム、その中で右往左往する人間達の姿は皆同じように見え、自分には希釈化されて見えました。

様々なしがらみに縛られて意思決定が遅れる政府関係者、ゴジラの脅威の前になすすべなく消える一般市民、彼らは名前がない"匿名なままの一個人"として消えていきます。

本作は「ゴジラvs日本という国」という構図を前面に押し出した映画であり、それだからこそ一個人に焦点を当てるヒューマンドラマではなく、誰にも感傷を持たせないような"日本国民を構成する一ピースである人"を描いていたのだと思います。

中途半端なドラマを描くような真似はせず、いっそバッサリと切り捨てる姿勢はすがすがしいです。



人間の居住区を脅かす存在として現れたイレギュラーとしての生物ゴジラと相対する、システムに組み込まれた人間、2時間という限られた時間の集約されたこの物語は濃密で豊かでもあります。

少々退屈になるところもなくもなかったけれど、総合的に見たらかなり満足する映画体験になりました。
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