スギノイチ

シン・ゴジラのスギノイチのレビュー・感想・評価

シン・ゴジラ(2016年製作の映画)
3.0
所謂「東宝特撮怪獣モノ」よりも、『日本沈没』とか『首都消失』みたいなパニックSFの系譜に寄っている。
まさしく84ゴジラが本当にやりたかったことをやれている作品、という感じだった。
ギャレス版が1作目にして既にプログラムピクチャー2作目の様な作劇を展開してメタメタになっていたのに対し、物語の全て(石原さとみ以外)がゴジラに向けたベクトルで機能しているし、欲を出さずにゴジラに絞ったのは本当に英断だった。
というか、メガヌロンやショッキラス的な20m未満の前座怪獣ぐらいなら許容範囲だし、むしろ日常と大怪獣との橋渡し役に是非出してほしいと思っていたところ、まさかゴジラ自らがオタマジャクシとなって前座を務めるとは意外な切り口だ。

個人的には、この幼体ゴジラが本作一番の収穫だった。
確かにCGには拙さがあるが、独特な異物感と、うぞぞぞと街をせり壊していく無慈悲さがたまらない。
どことなく新マン怪獣っぽい(一瞬キングザウルス三世かと思ったが)のは新マンフェチだという監督の趣味か?
できればあと30分ぐらいあの姿で暴れてほしかったぐらいだ。
生体となってからも、威力が狂いまくった放射熱線や生体メカニズム放棄の全身砲台など、従来の横綱怪獣的な脅威に加え、ギャオスやヘドラのような奇形チックな進化型でもあるので、常に何をやらかすかわからない怖さがある。
中盤の都内壊滅はその集大成であり、絶望とカタルシスが当時に頂点に達する凄まじいシーンとなった。

と、ゴジラ描写に限って言うと歴代最大級に痺れる120点仕様だったのだが、そこから60点分マイナスしてしまうのが人間パートだ。
『博士の異常な愛情』や『日本のいちばん長い日』に倣い、国家の危機に対するお偉方の右往左往を徹底俯瞰してブラックコメディ化するというスタイル。それ自体は別にいいのだが、その割には俯瞰しきれていない。
「ドラマ性を排して物語の推進に徹した」というが、それじゃ本編に一切貢献しないあの石原さとみの存在は何だ。石原さとみ絡みのシーン全カットで10点ぐらいあがるぞ。
あの岡本喜八の顔を持つ博士も、どうしてあんなイケズなやり方でメッセージを残すのか。その解明に一応の盛り上がりどころを配置しているのだが、そもそもネタ振りでしかない箇所にそこまで注力されても全く盛り上がらない。
この辺り、映画の目的がゴジラではなく博士の謎にシフトしかけていて凄まじく退屈だった。
説明的過ぎる演出にも辟易。イラつく大杉蓮の手元を何度もアップにしたりとか、もうわかったから!と言いたくなる。

リアリティへのアプローチにも疑問が残る。
怪獣に攻撃しようとする矢先に「憲法が云々」とか、本編に「怪獣」というワードを登場させないのとか、やり方が20年前の平成ガメラから進んでない(尚且つクドい)のはきつかった。
平成ガメラにおける「カメ問題」も然りだけど、そもそも、あの事態においてあそこまで「怪獣」というワードが出ないのってかえってリアリティ無いだろう。
「怪獣という言葉は物語の陳腐化、ジャンル化を招いてしまう」…という考えの人達が作っているんだなと思うと釈然としない。
『ガメラ3』や『GMK』ではしつこく描写されていた「殺される人々」の描写が、このテーマに対して妙に少ないのも違和感がある。
逃げ惑う群衆も頻繁に映し出される割に、ゴジラの破壊映像との連結がいまいちとれていないため「そこにいる感」が全然無く、無人の街を破壊しているように見える。
何だか肝心なところに人間の生死が描かれていないので、震災メタファーはアリバイでしかなく、結局異形の怪物を描きたかっただけなんじゃないの、と穿ってしまう。
ただ、それだけに異形の怪物としてのゴジラ描写は執念の出来であり、歴代ベスト3に入る素晴らしさだった。
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