エクストリームマン

攻殻機動隊 新劇場版のエクストリームマンのネタバレレビュー・内容・結末

攻殻機動隊 新劇場版(2015年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

完成披露上映会にて。

ARISEシリーズのどれもに感じていた尺不足がやや解消され(上映時間100分くらい?)、情報の密度が下がった分観やすくなっていたのではないかと思う。それでも、詰め込みすぎ感はあったけど。鑑賞前の期待値がそれほど高くなかったからこそ、普通に楽しめた。

本作を含んだ一連の前日譚で脚本を担当した作家:冲方丁の視点は、やっぱり士郎正宗とも押井守とも、勿論神山健治とも違っていたということを再確認。まぁ、当たり前といえば当たり前なんだけど。冲方丁の視点は、突き詰めれば「兵士たちの行き場」問題に収束する。電脳化&義体化技術をあのレベルまで押し上げたような凄惨な戦争に従事していた兵士たちが、戦後皆行き場をなくして燻っている。更に、肉体は義体技術のデッドエンドに突き当たろうとしている。そこで国民国家における「正しい方法」での解決を図ろうとするのが公安9課の荒巻部長‐草薙素子ライン、それに対立するのが企業連合体の追求する利益に未来を委ねる501‐クルツのラインということになる。が、実は……観終わった後から考えれば、メインのシナリオはARISE border:2に近い感じだった。要するに、進化の覇権を賭けた壮大な代理戦争だったってことだよね。

ARISEシリーズに最も足りないと感じていたのは、サイバーパンク一般に通底するオカルト的要素や思考/思想。限界まで機械化を推し進めても、人間は必ず「その先」を見てしまう。世界を科学で覆い尽くし、あらゆるものを分解/解析し尽くしたからこそ、それらが及ばない領域がより鮮明に浮かび上がる。攻殻機動隊のコミックで士郎正宗が描いていたように、より進歩したハードウェアが逆説的に魂の存在を完全に証明する瞬間が来るに違いないという確信、それこそがサイバーパンクらしさなのだと思う。ARISEシリーズには、尺の都合もあいまってか、残念ながらその点に関して非常に冷淡だった。シリーズが進むにつれて、解消されてはいくが(特にborder:4の「ダブルゴースト」のネタと物語の結末は「らしさ」があってよかったが尺足らずだった)やはり物足りない。その点、本作はメインのコンセプトに「青春と卒業」を掲げていたためか、ARISEシリーズよりはかなりサイバーパンク的な部分で踏み込んだ描写、ストーリーになっていたのではないかと思う。特に「第3世界」への信仰なんかは良かったな。

劇場版第1作に繋がる終わり方したから、このARISEシリーズは取り敢えずここまでなのだろうけど、石川社長の口ぶりだとIGはまだまだ続ける気がありそう。ユルく見守っていこう。