Tully

エンドレス・ポエトリーのTullyのネタバレレビュー・内容・結末

エンドレス・ポエトリー(2016年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

物語は、軍事政権崩壊後のチリ。トコピージャを旅立ったホドロフスキー一家が首都サンティアゴに移住するところから始まる。「誰かの思想に囚われ続けた父の変化」 、「母の人形からの脱却」 それをアーティスティックに描き、直情的に脳を刺激し続けてきた。本作でもその手法は変わらず、映像表現を言葉で表すと陳腐になってしまう。本作では青年 「アレハンドロ」 が詩に目覚め、自分の人生を定めていく過程が描かれ、そこで父との軋轢が生まれる。また母以外の女性とのふれあい、とその恋、詩人として道を歩む友人たちとの交流を経て、自分の中に生まれた 「ある予感」 を同化させていく。初恋の相手 「ステラ」 を母サラと同じ女優 「パメラ・フローレンス」 が演じているが、その意図は母性を求める少年らしさがまだ存在しているということだろう。その母はアレハンドロにピアノを与え芸術の道へと歩ませようとするが、父は医者を目指せと言う。経済が立ち行かないチリでは商人に未来はない。父は自分と同じ道を歩ませたくはなかったのだろうか。だが青年期のアレハンドロは感覚的に医師に向かないことを悟っていた。気弱さと内向性、路上で腸を曝け出して息絶える男を目撃して極度のそれらを恐れている。死に対するリアルのない時期でもあり、その加減も知らない。漠然とした不安は心理的抑圧からの解放が生み、それは盾を失うのと同義だからだ。そこでアレハンドロが邂逅することになったのが 「詩」 であった。世界を美しく表現する 「詩」 は、その内的世界の比喩であり、流れるような言葉のリズムは彼の癒しでもあった。演出的に母はオペラ調で話してはいるが、彼にとって世界の 「音」 はこれまでずっと無機質だった。だが彼がただの音である言葉の中にリズムを見つけたことによって、同じ言葉の意味が変容することを知る。そしてそれら変容の融合は美的感覚をともなって、彼を詩の世界へと誘った。タイトルの 「エンドレス」 は、人生死ぬまで詩人でいたいという決意とも受け止められるし、未来の自分から過去の自分に向けた道標とも言える。詩人であること、それは生きる糧を得ることとは別の世界である。やがてはそれは糧となろうとも、芸術の道はそんなに甘くはない。今の彼があるからこそ、詩人を目指した過去 (=自己肯定) は優しい言葉の塊であるように感じた。詩人とは人生を豊かに変えるマジシャンだと思う。そこに存在する、僅かな者たちへ視線を注ぎ、愛をもってそれらを美しく表現する。歪で目を背けたくなるような現実も、そこに詩的表現を加えることによって意味を中和したり昇華させたりもできる。「君が、詩が、僕の行く道を照らしてくれる。燃えさかる蝶のように」 彼が愛する詩は単体ではなく、「君」 と同化している存在である。その複合体は彼の灯火であり、人生を照らしていく。その炎の正体は愛であり、そこには相互を認め合う承認の世界でもあった。情熱的で、体と心をいっぱいに広げて、自分を鼓舞しながら、他者に力強さを与える。これを 「燃えさかる蝶」 と表現するセンスは私にはない。自分が輝くことで、世界 (周り) も輝く。その手法としての 「詩」 に感銘を受けたのだと感じた。いずれにせよ、どう捉えるかは人次第の映画であり、合うか合わないかははっきり分かれる映画だと思う。感覚的というよりは、やや論理的な私にとっては真逆の世界観であるが、圧倒的映像センスには学ぶところは多い。情報量の多い映画は楽しいし、過去の自分を癒すために過去を塗り替えるという思想は興味深い。
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