パイルD3

ハッピーアワーのパイルD3のレビュー・感想・評価

ハッピーアワー(2015年製作の映画)
4.5
濱口竜介監督の映画は、一言で言うとすれば
あらゆる“途中経過“を描いている気がする。
それは単なる通過点でもあり、描かれている以前の時間の中にも多くのドラマは存在していて、描かれた時間の後にもまだドラマは延々続いていくことを意識させる語り口が絶妙だ。

《途中経過の奥行き》
絵に描いたようなクライマックスなど準備しないし、始点終点には関心を示さないスタイルと言えばいいか。
この先どうなるかは明かされず、希望も破綻も僅かな点滅程度でしか示されない。
なのに、毎回圧倒されてしまう。

そして映画「ハッピーアワー」も、神戸に住む30代の仲良し女子4人が、1人の思わぬ告白から連帯が崩れ、引いては家庭、生き方へと波及していく経過を見せる。
やはり途中経過のストーリーである。

《観終えたら人と話すべき》
ただこの映画は、コミュニケーションに重きを置く話なので、観た後で誰かと話すことが、とても大切な気がする。

テーマにもなっている自分の視点と他人の視点がどれだけ違うかがよくわかる映画でもあり、語り尽くせないほどに張り巡らされた人間模様と、その密度を再確認出来るはず…
 
《PASSIONの姉妹篇…》
「PASSION」が28歳の男たちの視点から結婚前後の悶絶と息遣いを手厳しいタッチで見せたのに対し、この作品は対をなす形で、今度は30代半ば過ぎた女たちの視点から結婚後のあらゆる崩壊と揺動を見せる。

この2作品の間には10年の経年変化みたいなものがあって、並べてみると途中経過にも男女の違いだけではなく、年代によってフォーカスする視点の違いが見えておもしろい。


【ハッピーアワー】

タイトルが出ると、HAPPY HOURの2つのHだけが鮮やかな黄色で表示されている。
大意は無いのだろうが、ひょっとすると幸福な時間、あるいはH(性的な関係)部分に黄信号が点滅している状態を示唆しているのだろうか?ま、考え過ぎですけど…

《ワークショップ》
ストーリーの前半に登場する“重心“についてのワークショップの中で、参加者が言葉なしでコミュニケーションをとることの意味を体感するくだりが出てくる。

象徴的なのが、相手と少し離れて自分の真ん中にある“正中線“を探り合い、最後にオデコをくっつけて、互いの考えを伝え合うところ。当然ながら全く違うことを考えていて、合致しない…
ここはかなり重要なシークエンスでもある。

離れていても核たるものがあればつながりが保てて、肉体的に距離を縮めても、実は考えていることや思いなど伝わらないことを見せる。
彼女たちの迷走が、正にこの関係性通りに展開していく。

《男たちの空洞》
ドラマは、他人の力を借りないと埋め合わせる手立てに辿り着けないという人間の弱さまでを見せる。この弱さは外から見ると、疑念を引き連れた不快なものでもある。

人物たちが前を向いている前半、後ろ姿が増える後半と、構図が少しずつ変化する。

特に後半ではアーティストを名乗り、ワークショップで人を集めて、漁色にも利用する薄気味悪さを見せる鵜飼(柴田修兵)という男が、女性たちに接近しながら絡んでくる様は、一種悪魔的でもある。
手相を見てやるとか言いながら、女性の手に触れてくるタイプの男を思わせる。

「ハッピーアワー」は、女性たちの周囲を取り巻く変奇な男グラフィティーでもある。
本人たちはそうとは気づかず、自分を貫こうとして、相手との間に泥だらけの溝や空洞を掘り続ける。
どこにでもあることかも知れないが、男が陥る非常識の滑稽さをしっかり描いている。

《本音の罠》
それぞれが持つ本音が、セリフの中に網羅されていく。
価値観が違うのだから、全員の本音が一致するわけがないし、本音=正論ではないことも見えてくる。
あるいは、嘘が本音のことも当たり前のようにあり得ることかも知れない。

本音を盾にされると、二の句が継げなくなることを人は経験から学ぶ。
同時にそれを逆手に取れば、マウント攻勢に出られることも学ぶ。
使うか使わないかは、その人のハートの問題で、肝心なのはどこで使う人かということ。

このあたりの機微を心得ている濱口監督は、セリフの応酬、乱立回収を繰り返す中で全ての人物の“本性“に近い部分をドリップしていく。
濱口作品で繰り返される圧巻のセリフ劇だが、毎回心奪われてひたすら流れに見入ってしまう。

《動く言葉によるアクション》
シナリオがディベート中心の作劇術で構成されていて、一つの事柄に対して、異論反論を登場人物がぶつけ合うスタイルになっている。
隙間を埋め尽くすセリフの多い舞台劇で見られる手法で、この作品でもあえて円座で言葉を交わすシーンが登場するが、人物の動きは無くても言葉が暴れ回るのに圧倒される。

濱口監督が映画、演劇、ドキュメンタリーに対して積み重ねてきた地層が、長尺ということもあるが、より多く見られるのが「ハッピーアワー」だと思う。

例えば「落下の解剖学」のような、人物の悪意や乱れる心理が交錯するサスペンスフルなシナリオも充分書ける人だと思う


◼️好きなシーン
5時間を超える映画でもあり、濱口監督の画作りはいつも印象的なので好きなシーンはいくつかありますが、笑えたシーンと泣けたシーンをひとつずつ挙げると…

息子が同級生の女友だち相手に厄介事を起こして、親が謝りに行く話になり、夫が妻に俺は忙しいからおまえ行ってくれと頼むくだり。
黙って夫婦の話を聞いていた夫の母親がササッとやって来て頭をグーでゴン!とやるところ。上からハンマー式にゴン!て、なかなか見ないやり方で、笑ってはいけない状況なのだが笑った。 笑笑

泣けたのはフェリーのシーン、たまたま見送ることになった友だちの息子が、フェリーに乗った純(川村りら)に「俺が生まれてきたのは純さんのおかげなんだってー?」と聞くシーン。
純が「せやでー」と言うところ。
この“せやでー“がキター!という感じで、
こんなにもごく普通の関西弁が深く響いたことはなく、一気にこみ上げてきた。

◉後輩看護師役の渋谷采郁さんの
無風芝居が最高です
濱口監督の「悪は存在しない」にも出演
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