ロッツォ國友

疑惑のチャンピオンのロッツォ國友のレビュー・感想・評価

疑惑のチャンピオン(2015年製作の映画)
3.0
「大切なのは身体じゃない。
脚でも、肺でもない。
心だ。魂だ。」

何ものに代えがたい勝利と栄光に固執し、掛け替えのないものを棄てる、本物のヤク中チャリンコストーリー。
決して大傑作とは言えないが、まあ一本の映画として満足な出来。


「嘘も方便」という一言を2時間に引き伸ばして作られたのがこの映画。事実に基づいた相当リアルな造りで、実際の写真や映像が多用されており、ほとんど毛の生えたドキュメンタリーである。
そのせいか、自転車で疾るシーンは疾走感のある演出になっていてアガるものがあるが、その他のシーンは普通というか、あんまり上手くないと思った。
人物の関係性や心情の描写もやや分かりづらい。


だが、世界中の人々の期待とスポンサーを背負い、ついでにガン患者達に生きる希望を与えるスポーツ選手が、クスリに手を出してまで勝とうとする事は、そんなに理解できないものとして描かれていない。
それなりの身体能力、ストイックな行動力、勝利への固執と虚栄心…主人公ランスは、スポーツ選手として必要な素質の全てを兼ね備えている。だからこそ、ロクでもないクスリに手を出した。矛盾などしていない。

彼の人間性は確かにどんどん転落しているし、身体はクスリまみれだし冷凍庫は自分の血でいっぱいだし、どこまでが医療器具やらもう分からないほどである。何より自分にも他人にもウソをつき、人知れず自転車レースに泥を塗ったくり、欺瞞に満ちた栄光を7度も手にした。
だが、多くのガン患者が、彼に力を貰い救われたのは事実だ。自転車協会が、彼の尽力によってデカい市場の中心になったのも事実だ。彼の栄光の受益者は彼1人ではない。


ウソをついてクスリまみれの身体でレースに出るのは間違いなく悪だ。
でも、
希望を失った人々に力を与え、スポーツの発展に貢献することは善だ。
善と悪は遠いところにあるのではなく常に、表裏一体なのだ。善の体現者でありながら彼は悪にその身を染めていた。


もう1つ、この映画で重要なのは、彼が嘘っぱちヤク中レーサーになりながらも7回もツール・ド・フランスに優勝したのは、天才ヤブ医者のマネジメントしたドーピングが完璧だったからではなく、ツール・ド・フランスを取り巻く人々が皆「沈黙」していたことだと表現しているところにある。
確かに彼は騒動の中心にいたが、彼とそのお友達天才ヤブ医者を追放したところで、根本的な解決などありえない。


清廉潔白で公明正大なイメージを常に持つスポーツ業界の最高峰は、どこよりも汚く醜い世界だった。よく聞く話だ。
でもどうだろう、薬物と欺瞞と虚栄心に満ちた彼らの背徳行為は、多くの人の希望を支えているのもまた事実ではないか。
彼らをまとめて粉砕し、「劇的で圧倒的なスター」を追放した業界に残るのは、不信感とスターなき戦いだけかもしれないのだ。そんな結末の重大さを怖れる心が、あの「沈黙」を支えていた。


人間って本当にしょうもない生き物だ。
でも、その矮小さに生かされている人が、実際にたくさんいるのもまた事実なのだ。


別に大した映画じゃないし2ヶ月もすれば誰もタイトルを覚えてなさそうな内容だったと俺は思うけど、でもこれは、1つの事件を扱っただけのシンプルな再現ドラマではなく、スポーツを1つの商売としてパッケージングした時に当然起こり得る普遍的な問題をテーマにしている映画だということは、忘れないでおきたい。
ロッツォ國友

ロッツォ國友