あもすけ

恐怖ノ白魔人のあもすけのネタバレレビュー・内容・結末

恐怖ノ白魔人(2014年製作の映画)
4.1

このレビューはネタバレを含みます

冒頭のベアトリスダルにその時はある種のサービス精神みたいなものを感じていたけれどそれどころじゃなく、屋敷女と通ずるテーマが描かれていた。子供からの視点をメインに展開しながら抑圧されるような気分と同時にちゃんと不自由なまま自由で、喘息とか近眼とかそれぞれの個性がどれも記憶のどこかに結びついて愛おしくて、あらゆる理不尽に囲まれながらそこにいる感じ、でも彼らから見た大人たちという描き方では全くなかった。むしろ子供から向けられた大人たちへの偏見を解きほぐすみたいに、それぞれがそれぞれに愚かさや魅力を湛えていた。壁に隔てられたような感覚を崩してなだらかに続いていたし、大人からも子供からも相互に、そこに残っているものを見つけられる。だから全体を満たしているのはもっと大きな目線で、とても哀しくて諦めすら通り過ぎているような世界観で、それでも見つけることのできる光みたいにしてひとりひとりの生が抗っていた。物語を引っ張る主人公はあの子でも、誰視点の映画かといえば冒頭からのあの父親と感じた。屋敷女における子を持てない母性のように、家族に執着する感覚は父性なのかもしれないし、ただただ寂しさを埋めたかっただけかもしれない。

魅力的な大人といえば主人公の両親素晴らしすぎた。悪戯を咎めるのと肯定するそれぞれのバランスがぎくしゃくするかと思えば全然そんなことはなく、むしろお互いを認めあって愛し合ってふざけ合って子供の延長線上にいる大人として描かれていた。「俺が死んだら墓で花火を」「バカいわないで」のとこめっちゃ好き。あと子守りバイトのミラが超素敵。子供と大人の間がなだらかと感じたのはミラがいたからで、出てくる時間短くても言動のひとつひとつが彼女の感覚を丁寧に表していて、大人側でも子供側でもないまま自然に接するなかに人間的魅力溢れてるのたまらなかった。

それでだからもうマジで誰も死んで欲しくねえと思わされてしまって、日常の隙間に入り込むってこういうことか、と思うくらいに絶妙な、生々しく歪めるみたいな襲い方をしてくるのが嫌すぎるし見事で、ひとつひとつ壊される感じ辛くて、描写自体はぬるめでも観ながら声出した。ひとつの決着をみる場面もあっさりしていて、だけど母親が躊躇して撃てずに子供が、ということの意味合いを思うと印象的だった。
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