銀幕短評 (#280)
「祈りのちから」
2015年、アメリカ。 2時間。
総合評価 46点。
夫婦げんかで負けない修養を教えてくれる映画。
信心の深い、信仰に篤(あつ)い、神仏に帰依するひとはどこにもいる。わたしを除いて。とくにアメリカ人は大なり小なり何かの宗教を信じているようであり、キリスト教がその最大派閥である。大統領ですら聖書に手を置き、宣誓して就任する。
映画を観ながら、無信心のわたしは、神(あるいは神の子)を信じることの意味合いに考えをめぐらせる。もちろん、よいことが起きるように、しあわせが続くように、いやなことが去る(起きない)ように、神に願い 祈るのだろうが。
思うに、神(あるいはその対極にある悪魔)を引き合いにして、こころにある願い 恐れをとなえることで、1 自分の考えや意思を再確認し 補強 補完する効果がある。2 善悪 道徳の考えを植えつける。3 教義を整え広めることで、価値観を同じくした人びとを増やし 結束するはたらきがある。4 考えるのが面倒なのでパスである(だれか教えてください)。
もちろん上の 1 への期待と効果が宗教の最大のウリだ。まるで鏡で自分のすがたをのぞきこむように、身のほどを知り目標を定め、アプローチを考える。期待を高まらせ、努力のみなもとになり、成功には感謝し、失敗の理由にもされる。これらがうまく回っているうちは平和だが、あつれきを生むと 宗教がひとの赤い血を流す。過去の歴史でも現代でも。
柱の演者たった 4人でここまで作った手並みは評価するが、おばあさんのラストの熱弁は明らかにやり過ぎで興ざめだ。やはりキリスト教は敬遠しよう。
(みじかくコメントしました。)