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マグニフィセント・セブンのnetfilmsのレビュー・感想・評価

マグニフィセント・セブン(2016年製作の映画)
4.0
 1879年、アメリカ西部の町ローズ・クリーク。開拓者たちがこの町で家族を構え、土地に文化を築き始めた矢先、サクラメントから一人の資本家が現れる。彼の名はバーソロミュー・ボーグ(ピーター・サースガード)。彼にとって労働者や農民たちは搾取の対象でしかなく、この地に金の鉱脈があるとわかった男は暴力を使い、違法な追い出しを図っていた。この町の上手にある木製の教会。鐘の鳴るこの教会を労働者たちは町のシンボルとしていた。その教会内での全体会議の席に突如、ボーグたちが銃で威嚇しながら乱入する。町の正義を司るはずの保安官を買収し、家族に立ち退き料として提示したのは実際の相場の3分の1の20ドル。必死で開墾した土地を奪われそうになり必死で抵抗する男たちは、教会の前で横暴な略奪者たちと対峙するものの、声高に異議を唱えたマシュー・クレン(マット・ボマー)は見せしめの銃弾に散る。空に響き渡る妻エマ(ヘイリー・ベネット)の絶叫。ボーグはこの町の象徴である教会に火を放ち、立ち退きの期限は3週間後だと宣言して町を出る。ローズ・クリークの隣にあるアマドール・シティ。昼間から酒場で呑んだくれる白人たちの元に1人の男が現れる。彼はカウンターを潜らず、中の様子をじっと見つめた後、一直線にカウンター越しに腰掛ける。「この男を知らないか?」お尋ね者の特徴をバーのマスターに伝える男は死角からの銃弾を自慢の早打ちで返り討ちにする。彼の名はサム・チザム(デンゼル・ワシントン)。カンザス州など7州の委任執行官だが、賞金稼ぎの首を次々に狙うミステリアスなバウンティ・ハンターとしての側面を持つ。

 時は1879年、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンにより奴隷制度が廃止されてから14年後の世界、白人至上主義の西部劇には珍しい黒人俳優が主人公の異色の西部劇である。偶然この町にやって来たサム・チザムという男は、夫を無残にも殺され、あと3週間後には土地もこの町の生活すら全て奪われるエマと血気盛んな若者テディQ(ルーク・グリメス)の依頼を二つ返事で引き受ける。今更今作のオリジナルについてはあまり語る必要はないが、彼が7人の心強い仲間を集める過程はいわゆる「リクルートもの」として強烈な魅力を放つ。スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、そしてジェームズ・コバーン、かつて20世紀の苦み走った男たちをユル・ブリンナーがその情熱で仲間に加えたように、今作でもチザムは一癖も二癖もある「ならず者たち」を仲間に勧誘する。各人の出会いの場面は近年のハリウッド映画の中でも間違いなく一番「キザ」で実に魅力的に映る。まるでクリント・イーストウッドとモーガン・フリーマンのように、南北戦争後、西部開拓者時代末期の風土を背景に用いながら、かつて敵同士だったデンゼル・ワシントンとグッドナイト・ロビショー(イーサン・ホーク)の男同士の友情を下敷きにする物語で、フークワは血気盛んな2丁拳銃の使い手であるジョシュ・ファラデー(クリス・プラット)を陰の主役に立てる。『7人の侍』や『荒野の7人』の熟練した男が戦争素人の男を一人前の男に仕立て上げるエピソードがない代わりに、まるで『荒野のストレンジャー』のクリント・イーストウッドのように、去勢されたこの町の人々を鼓舞し、勇敢な兵士へと育成する。

 今作はオリジナルの黒澤明やジョン・スタージェスに敬意を評しつつも、まったく趣の異なる群像劇に仕上がっている。かつての西部劇が白人たちがインディアンやコマンチ族を追い出し、西へ西へと土地を開拓していったのに対し、今作でローズ・クリークの町に住む白人たちはバーソロミュー・ボーグの暴力による威嚇に服従し、為す術もない。そんな去勢された町の男たちをただ一人鼓舞するのがエマである。同じフークワ×ワシントン・コンビの『イコライザー』でロシア人に殺される娼婦の役を演じたヘイリー・ベネットがここでは男以上に勇敢な女性像を演じる。命の危険に晒される白人たちが復讐を依頼するのは、黒人を筆頭に元南軍兵士のケイジャン(フランス系)であるグッドナイト・ロビショーやその相方で東洋人のビリー・ロックス(イ・ビョンホン)であり、コマンチ族のレッド・ハーベスト(マーティン・センズメアー)やメキシカンのヴァスケス(マヌエル・ガルシア=ルルフォ)だと云うのが興味深い。劇中のグッドナイトの言葉にもあるが、今作の肝は白人の白人に対する復讐を、有色人種たちが請け負う点にある。19世紀後半、南北戦争や奴隷制度、ヨーロッパの飢饉の影響で多種多様な人種がアメリカ大陸へと渡って来た。現実にはバーソロミュー・ボーグのような強盗貴族(ロバー・バロン)に搾取されて来た彼ら有色人種たちは虐げられた時代に耐えたことで、今の多民族国家のアメリカ合衆国が形成されたのだが、今作の有色人種たちは白人を助けるために自ら挙手して「滅びの美学」に命を興じる。

 サム・チザムとグッドナイト・ロビショーの友情を例に出すまでもなく、ここには幾つもの男たちの「連帯」の思いが物語を貫く。ジャック・ホーン(ヴィンセント・ドノフリオ)とレッド・ハーベストの友情、サム・チザムとグッドナイト・ロビショーの友情は云うまでもないが、そのグッドナイト・ロビショーとビリー・ロックスの友情が泣けて泣けて仕方ない。奇しくも同じ1970年に生まれた2人の名優イーサン・ホークとイ・ビョンホンと云うハリウッドきっての2大スター、PTSDの苦しみに苛まれる年老いたイーサン・ホークと、40代半ばにして未だ衰えない若さを見せつけるイ・ビョンホンの対比が今作が何よりも俳優の演技力の賜物で成立した映画であることを思い知らせてくれる。ヴィンセント・ドノフリオや無名のマーティン・センズメアーの怪演ぶりも含め、ラスト30分の余りにも陰惨なクライマックスにはかつて存在した男たちの「滅びの美学」が強く滲む。ネタバレになるのでこれ以上は申し上げられないが、クライマックスに生き残った男たちと戦場に壮絶に散った男たちの人種構成は排外主義を強め、自国第一主義という名の白人至上主義を掲げ、メキシコとの国境に壁を作ると宣言するドナルド・トランプの強烈な白人至上主義へのアンチテーゼに思えてならない。多民族国家としてのアメリカ合衆国の立場が今、大きく揺らいでいる。
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