タケオ

バービーのタケオのレビュー・感想・評価

バービー(2023年製作の映画)
4.0
-幾重にも風刺や皮肉が込められた、一筋縄ではいかないブラック・コメディ『バービー』(23年)-

 デズモンド・ナカノが監督を務めた『ジャンクション』(95年)は、白人と黒人の立場をスワップすることで、社会に深く根を下ろす人種差別や格差の実態を可視化してみせる秀逸な作品だった。前提条件が変わることで、何気ない日常に潜む不条理や不平等が鮮明に浮かび上がる。目に見えないものを'画'として提示することで、観客の世界観に揺さぶりをかける。映画をはじめとした「フィクション」が持つ大きな力のひとつだ。本作『バービー』(23年)もまた、「フィクション」ならではのやり方で観客に「現実」を問いかけるパワフルな作品である。
 監督を務めたグレタ・ガーウィグは『レディ・バード』(17年)や『ストーリー・オブ・マイライフ/私の若草物語』(19年)などの作品で、未来に向かって一歩を踏み出す女性たちの姿を軽妙なタッチで描き続けてきた。そんなガーウィグ作品らしく、本作も女性たちをエンパワーメントする作品として仕上がっている。くわえて、現代的な「男らしさ」についての鋭い考察も含まれているため、様々な角度から楽しむことができるだろう。
 本作の舞台となるバービーランドは、様々なバービーたちが仲良く暮らすユートピア。しかし、それはあくまでバービーたちにとってのユートピアにすぎない。バービーたちは大統領や医者、清掃員から土木作業員まで多種多様な形で活躍しているが、一方でケンたちには、「バービーのボーイフレンド」という役割以外には何ひとつとしてアイデンティティが与えられていない。バービー(=女たち)が仕切る社会から軽視されるケン(=男たち)。バービーランドは家父長制が幅を利かす現実世界の裏返し、すなわち男たちにとってのディストピアだ。
 現実世界へとやってきた'定番バービー(マーゴット・ロビー)'は家父長制が幅を利かす現代アメリカの姿にショックを受けるが、逆に'ビーチのケン(ライアン・ゴズリング)'は感銘を受ける。「なるほど、'男らしい'とはこういうことなのか!」───そんなわけで、カギカッコつきの「男らしさ」・・・もとい「有害な男らしさ」に目覚めてしまったケン。さっそく現実世界で学んだ「男らしさ」をバービーランドに広めていくが、そのひとつひとつがイチイチ'しょうもない'ところに、本作のギャグのキモがある。ケンたちが「有害な男らしさ」にかぶれてしまう姿を、他人事として割りきることができる男性観客はまずいないだろう。中盤に登場する「『ゴッドファーザー』を解説したがるマンスプ野郎」に思わずギクッとした映画ファンも少なくないのでは?「有害な男らしさ」にかぶれたケンたちのしょうもない姿をゲラゲラと笑っていると、フッとした瞬間、その刃が実は自分に突きつけられていたことに気づく。まさにコメディ映画ならではの醍醐味。きっと多くの男性観客は赤面して帰る羽目になるだろう。
 男たちにとってのディストピア=バービーランドと、女たちにとってのディストピア=現実世界。2つの世界は対極のようでいて、実は本質的には同じだ。ある特定の属性の人々が無視され、侮られ、軽んじられ、「お前には価値がない」と思い込まされることによって成り立っている。本作は「女性こそが正義で男性は悪」という二項対立を拒否している。だってそんなわけないから。いつだって誰かにとってのユートピアは、誰かにとってのディストピアなのだ。全編に幾重にも塗り込められた風刺や皮肉は、あまりにも鋭い。
 本作は社会(システム)によって「価値がない」と思い込まされてきた存在が、自らの存在意義を掴み取るまでの姿をユーモラスに描ききってみせる。バービーやケンが「自分が自分である'喜び'」に辿り着くまでの心の旅は、たしかに感動的だ。しかし、本作の真の正体が風刺や皮肉がたっぷり込められたブラック・コメディであることを忘れてはならない。よく見ればわかるように、実は本作は明確な答えは何ひとつとして提示していない。「自分が自分である喜び」は千差万別。その答えは自分で探さなければならないと『バービー』は観客に説く。誰もが笑顔満面の完璧なハッピーエンドをあえて避けた、皮肉たっぷりの幕切れも堪らない。一筋縄ではいかないなかなか意地悪な作品である。
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