レインウォッチャー

ハッピーエンドのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

ハッピーエンド(2017年製作の映画)
3.5
ハネケ×ユペールpart4、とはいえユペールちゃん様は脇の拗らせマダム&マザー(似合うわ)なのだけれど。

自分本位で噛み合わない家族のパズル、といった感じ。ハネケみ溢れる遠景固定長尺ショットが多用され、観る者をアリの巣の観測者のような蚊帳の外に置く、冷たさ。(※1)

さて今作からふと思い出したのが、『ジョジョの奇妙な冒険第7部 スティール・ボール・ラン』で使われる《漆黒の意思》というワードである。
これは、一度決心をしたら何を置いても(たとえ殺人を犯すことになっても)その意思を遂行する、という覚悟をもてる器・気質を指している。対して、たとえ勇敢であっても、目前で起こる事象によって身の振り方を変える、という受動的な反応は《対応者》と呼ばれた。

今作におけるいびつで薄っぺらい家族の中で、最終的に(というか唯一)分かり合うのは、最も遠い存在と思われた80代の長老と、外から転がり込んだ13歳にならない少女である。2人が言葉を交わすのはかなり後半になってからであるけれど、声に出さずとも響き合う何かが瞳に宿っている。

2人は、共に周囲から理解が難しい行動をとり、本人たちも既にして理解されることを諦めている節がある。しかし、2人には共通してある線(ライン)を越えた《漆黒の意思》があって、それ故に引き合うのだ。逆に、周りの家族たちは如何に狡く賢くても、誰もが《対応者》なのだといえるだろう。

もちろん、だからといって「老人と少女のハートフルな」なんてならないのがハネケ映画なわけだけれど…まさかの戦友のような関係を見つけられたことはやはり『ハッピーエンド』なのかもしれない。わたしたちは誰もがそんな相手を探しているし、一生見つけられないこともあるのだから。

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※1:スマホの録画や配信、PCのチャットといったデジタル機器の画面が多用されるのも特徴。誰が操作しているのかぱっと見わからない、という興味の持続のフックにもなりつつ、そのどれもが客観性・観客性のフィルターを一枚増やして、対象との隔たりを感じさせる機能を果たしているように思う。