『王は子を米びつに閉じ込め殺した』
王子の謀反から映画が始まると、王は静かに怒り、子である王子を人がギリギリ入れるくらいの大きさの箱:米びつに閉じ込める。なぜ、王は子を殺したのかという疑問を映画が追っていく。
小難しくなりそうな時代劇をしっかりとエンターテイメントに消化する。その内容はイ・ジュニク監督が出世作「王の男」と同様、父と子の葛藤、『正しさ』が『正しくなさ』を抑圧する一部始終だった。
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実に、父親のレールからゆっくりと踏み外してしまう子と、それを許容しない父親。子の精神は、まさに劇中の『張り詰めた弓』のようにピシピシと圧迫され、いつしか解き放たれてしまう、爆発。
父の『王室らしくあるべき』という『正しさ』、子の自由を求める『正しくなさ』が対峙する中、新たに父の期待以上の世渡り上手の『正しさ』が登場する。こうなってしまったらベネット・ミラー監督「フォックス・キャッチャー」よろしく行きつく所は決まってしまう。感情の爆発。
「王の男」の劇中台詞そのまま
『父親に縛られる余は本当に王なのか』なシーンが代理執政シークエンスに現れていたことが印象的だった。
監督はインタビューで、韓国にはよくある『父が子を抑制する』様子が今作にも反映されているという。この発言からも分かるように、特殊な『米びつ事件』と、大仰でやむごとなき『王室』のお話に、海を渡ったココにもあるミニマムな普遍性を持たせる手腕。
テンポが軽やかで、良くも悪くも『分かりやすい』のが何より。
俺たちのソン・ガンホ兄貴の、撮影前に大声を出し、声を潰し出したという『しゃがれ声』芸は必見です。