Tully

傷だらけの悪魔のTullyのネタバレレビュー・内容・結末

傷だらけの悪魔(2017年製作の映画)
2.4

このレビューはネタバレを含みます

オープニングはいじめのシーンから。トイレで誰かがいじめられている、名前は 「玖村」 というようだ。それを遠目に眺めている少女がいた。場面は変わって、親の都合で田舎に引っ越してきた舞が荷解きをしている。親に催促されながら、スマホで田園風景を撮る舞。想像以上の田舎に呆然としていた。彼女の人生観は 「学校は群れに馴染む訓練の場」 である。その為に自分を偽って、新しい生活の 「居場所」 を探し始める。舞の新しいクラスは素朴で静かな感じに思えた
担任の 「翠」 は 「小田切詩乃」 を指名して校内を案内させる。詩乃は意味ありげに 「いじめ」 について話し出すが、舞は 「どこにでもあること。大したことない」 と軽く受け流した。命題は明確で 「いじめ」 である。これを失くすためにどうすればいいかをそれぞれが自分勝手に主張している。特に担任の言い分には呆れるばかりで、「社会で生き抜くための必然」 と宣う。傍観者として何もしない担任は冷酷な社会の代弁者というよりは、欺瞞に満ちた自己保身の塊である。最近の流行りなんでしょうか?登場人物全員悪人ってパターン。この映画では悪人というよりは 「クズ」 って感じ。共感できる人物がほとほと皆無で、今の若者を襲う問題が随所に散りばめられているが、さすがにデフォルメが過ぎる印象がある。本当のいじめって、もっと陰湿で、じんわりと真綿で首を絞めるような行為と、内向的で自虐的な幼い精神が破壊的な結論を導くものである人生経験の少ない若者が辿り着く結論は無論幼く、要するに許容範囲を超えるとスパークするのである。若者の自殺率が高い日本では、内封されたカーストを認知した瞬間に若者の理想論が崩壊する。現実的な問題がいきなり覆いかぶさって、それぞれの 「自己防衛」 が仮想敵を作り出して、自我の居場所を作り出す。この物語でもそう言った居場所、いわゆるテリトリーを守るために他人を平気で傷つけていく。その中でも 「傍観」 はもっとも合理的に思える防衛本能である。この青少年の精神世界を創り出す要因は 「大人たちにおける無関係主義」 であるが、これを当事者や事件のあるコミュニティで平然とやってのけるのだから恐れ入る。その象徴が担任の翠であろうか。物語は色んな社会的問題を内封しながら進んでいくが、実に漫画的な手法で描かれていて、正直大人が観る映画ではない。若者なら 「共感」 出来るか分からないが、「超ヤバいよね」 で他人事を決め込む予感しか覚えません。まあ、演技に関しては無闇にツッコむのは野暮ということで、それなりにリアリティがあったので、彼女らのプライベートが少し怖く感じました。日本ではいじめはなくなりません。大人が国会で堂々とそれをやって、それが国営放送で流されても何も起こらない国ですから大人は軽く受け流し、反撃は致命的なタイミングを窺うのが常套句。自己防衛が最善ですが、刃を研ぐ相手には降りかからないのも事実。その為に自分を殺す必要はなく、「やられたらやりかえす」 はある意味正論なのかも知れません。
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