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レザボア・ドッグスのkuuのレビュー・感想・評価

レザボア・ドッグス(1992年製作の映画)
4.2
『レザボア・ドッグス』
原題 Reservoir Dogs  映倫区分 PG12
製作年 1991年上映時間 100分クエンティン・タランティーノの監督第1作で、宝石店強盗計画に失敗した男たちがたどる運命を、独特の語り口で緊迫感たっぷりに描いたクライムドラマ。
キャストには本作の製作にも尽力したハーベイ・カイテルをはじめ、ティム・ロス、スティーブ・ブシェーミ、マイケル・マドセンら個性豊かな顔ぶれが揃った。

2024年1月、デジタルリマスター版でリバイバル公開され、鑑賞したが、不意にオリジナルが見たくて再視聴。
こちらの方が荒々しさが伝わるかな。
故に☆スコアは0.2ポイントプラスにしてます。

宝石店を襲撃するため寄せ集められた黒スーツ姿の6人の男たち。彼らは互いの素性を知らず、それぞれ「色」をコードネームにして呼び合う。計画は完璧なはずだったが、現場には何故か大勢の警官が待ち伏せており、激しい銃撃戦となってしまう。命からがら集合場所の倉庫にたどり着いた男たちは、メンバーの中に裏切り者がいると考え、互いへの不信感を募らせていく。

映画ファンのために、また、噂を聞いて見る方のために作られたような今作品は、凄まじい直感的エネルギーに満ちた映画です。
現在、クエンティン・タランティーノの名前が挙がるたびに、スコセッシやデ・パルマなど、犯罪/ギャングちゅうジャンルをいじくりまわして個人的で重厚な傑作を生み出した監督たちと同じように、人々はエンティン・タランティーノを尊敬の念で扱う。
しかし、本作が公開された当時は、彼の最高傑作である『パルプ・フィクション』と同様、
彼は暴力的な映画を作る映画監督。
暴力に満ちた映画監督。
暴力が詰まった映画監督。
暴力的すぎる映画監督。
映画において、そないなことがあり得んのから、
あるいは、あるべきなのか。
等々とみなされていた。
これは不当に違いない。
確かにタランティーノは、暴力的な行為や暴力的な緊張に伴う感情がそこにあるような強度で脚本を書き、俳優を働かせる。
そして、血を見せ、苦悩や絶望の叫びを聞かせる。
せや、本当に暴力的な行為を正確に見せることはない。
マスデンが耳を切り裂くショットを編集フロアに残すことにした。
クレジットが流れた後も、血まみれであろうとなかろうと、映画全体を通して目にする映像がずっと心に残るのは、彼のひたむきな努力と明らかな信頼が、そのまま彼の作品に反映されている証なんやないかな。
筋書きは、1987年のチョウ・ユンファ主演の香港映画から引用したものやそうですが、彼のトレードマークであるノンリニアなストーリーテリングを初めて取り入れた作品じゃないかな。
もちろん、これはほとんどの映画で珍しいことではないが、各シーンに肉感的な質感があり、(キャラだけでなくストーリーにとっても意図的な)セリフが次から次へと語られるので、本当に何が起こるかわからない。
犯罪組織のボスは、さまざまな背景を持つ犯罪者たちを集め、彼らに与えられたクリスチャン・ネームを外し、強盗が近づくにつれて仮名カラーを与えていく。
思ったより早く警察に通報され、銃撃戦が起こり、何人かは消され、残った者は待ち合わせ場所に集まり、何が悪かったのか整理する。
このような野心的で地に足のついた脚本を持つほとんどの映画では、ほぼ、すべての演技が映画の成功に欠かせない財産であり、タランティーノはそのことを骨身にしみて知っているんやろし、また適切な役のキャスティングにおいてもそうなのである。
例えば、スティーブ・ブシェミはミスター・ホワイトのオーディションを受けたが、ミスター・ピンクになった。
カイテルとティアニーは古いプロを演じているに過ぎない。
ロスはオレンジ役で真にブレイクした演技を見せ、ブシェミ自身はなぜ彼が今の映画界に必要なのかを証明している。
クリス・ペンは巧みな脇役を演じ、マスデンは90年代のサイコの中でも最も説得力がある。
これらの俳優たちは、すぐに、彼らが持つべき唯一の印象を放つ。
彼らを気にかけてもいいし、軽蔑してもいい。
あるいは彼らが一瞬にして消え去るのを無批判に眺めてもいいキャラたちだ。
では、『レザボア・ドッグス』は万人向けなのか?
必ずしもそうとは云い切れないが、9歳か10歳以下の子供には、たとえ暴力を理解し、受け入れることができても、近づかない方がいいやろうなぁ。
しかし、スリルを求めるスクリーン・マニアにとっては、一見の価値があるし、個人的には幾度となく楽しめる作品です。
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