horahuki

The Eyes of My Mother(原題)のhorahukiのレビュー・感想・評価

The Eyes of My Mother(原題)(2016年製作の映画)
3.9
あなたと一緒にいるためなら何でもやる!!

呪怨新作『The Grudge』のニコラスペッシェ監督長編デビュー作。本作→『ピアッシング』と好評続きだった監督ですが、新作は今後のキャリアが心配になるくらいのボロクソ評価…。というか何で『The Grudge』に抜擢されたのか謎。サイコホラーが得意な監督なのに。

本作も勿論サイコホラーで、突然自宅にやって来たセールスマンに人生を狂わされる家族のお話。といってもホームインベージョンスリラー的展開ではなく、ママを殺したそのセールスマンの目と声帯を潰して納屋で縛り付けて監禁するお話。程なくしてパパも亡くなった後はセールスマンの生殺与奪権を握った娘が、世間から隔絶された自宅でセールスマンを使って孤独を紛らわしながら暮らす姿を描く静謐で狂気に満ちたモノクロ映画。

『サイコ』が好きだと監督が語ってるとおり、どんでん返しはないけれど、確かに『サイコ』的な内容。アレを殺人鬼目線で描いたらこういった物語になるのかなといった感じ。幼い頃に母親を殺され、(恐らく)そのせいで父親は無気力となってしまう。ポルトガルからの移民である彼らは空間的にも精神的(言語的)にも周囲から隔絶されてるが故に、母親と父親以外に彼女に道徳的な指針を示してくれる存在などおらず、生きるための道標が不在のまま孤独の中で育まれていく歪んだ心理が彼女を形作っていく。

本作は何とかして孤独を癒そうとする彼女の物語なのだけど、その方法が歪みまくってるために純粋なはずの思いが狂気へと変貌する(ように周りからは見える)。納屋で監禁して思い通りに飼い慣らしているセールスマンを唯一の友だちとして育った彼女が友だち作りなどまともに出来るはずもなく、外へのアプローチは尽く孤独を際立たせる結果となる。

教えを求めるために母親に祈ったり、死体を掘り起こして泣きついたりと母親を崇拝してる彼女だけど、当然母親の成り方・在り方もわからない。皮肉のように聖母マリア像に焦点が合うのが印象的なのだけど、間違いなく彼女が子に抱く愛情の純粋さは本物で、彼女を突き放すのは規範側の傲慢のようにも思えてくるほどの神々しさがあった。

監督インタビューで実在の某連続殺人鬼を引き合いに出していたけれど、殺人鬼側に同情を誘うだの、殺人鬼にも理由があるだのといった浅い感情誘導を一切することなく、むしろイカレてることをこれでもかと見せつけ強調しつつ、報道等により表に出て来た末端情報の裏側へ自然と思いを馳せさせ、「同情しちゃう」だとか「理解できる」とかとは全く違い、グチャグチャにこちらの感情を掻き乱すだけ掻き乱して終幕とする突き放す感じが凄く好き。それに元々備わってるサイコキラー的気質を否定しないところも良かった。

本作は固定カメラでの長回しが多用されていて、その中に扉や窓、カーテン等の空間を仕切るアイテムを配置させつつ、キャラクターの運動を遠景で写し続けるシーンが多い。最小限の情報だけを提示するため、先の読めないキャラの動きに惹きつけられるとともに、カーテンや洗濯物の揺れ、ほんの少しの動作で同一カット内で嫌な予感を盛り上げていくのが非常にうまくて長回しだらけなのに全く飽きなかった。そして構図のズレや意外な配置が多く、ところどころ「誰か」の目線とカメラを同化させてるように思えた。それがもしかしたら「ずっとそばにいる」と作中でも語られていたようにタイトルの意味になっているのかも。

そして予算不足もあり残虐なシーンは必ず画面外で行われるのだけど、キャラクターの表情や、モノクロで無音だからこそ異常なほどに映える音の反復のために、肝心のところが映っていないのだと感じさせないほどの残虐さを感じた。マジで何でこの監督が呪怨やねん!って思ってしまうんだけど、もう世に出てるわけだからとりあえず『The Grudge』も見ようと思います。併せて『呪怨』シリーズも予習で全作見たのだけど、誰がどうやろうがこのシリーズはもう無理だと思う…😅完全に負け戦。

冒頭に幼い子どもの前で牛を解体して解剖学的なのを母親が教えるシーンがあって、「この親子やべぇな…」と思って見てたのだけど、監督の実体験らしい。マジですか…😱
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