140字プロレス鶴見辰吾ジラ

映画プリキュアドリームスターズ!の140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.4
”デッドプール”
”カンフーアクション”
”イルミナティーカード”

「全部抱きしめて、君と歩いて行こう。」

皆様、こんにちは。
プリキュア右翼の鶴見辰悟ジラです。

皆様は今年の「キラキラ・プリキュア・アラモード」をご覧になっているでしょうか?

今年から、バトル路線からキュートでポップな路線を行くとのことです。
私の中でプリキュアとは何だったのか?
それは抗いがたい負の圧力に屈することのない純粋性。
さらにズタボロに傷つき、泥だらけになっても失われることのない輝き。
これが”プリキュアなんだ!”と思っていましたが、それが否定されるのでは?という事態に、今年の春のプリキュア映画評は「プリキュア・イズ・デッド」として書くつもりでしたが、今作からスタートの”ドリームスター”にて色々駆け巡ることもあったので書かせていただきます。

まず冒頭から垣間見える”殺し”の演出。
冒頭は今回のゲストキャラのサクラ(cv阿澄佳奈→この声で人妻)とシズクの逃走シーン。敵の犬モチーフのキャラがシズクを捕まえるときの前足で頭押さえつけて喉元噛みつかんとするところに覚える”死”の恐怖性を感じ、純粋なる少女の無垢な祈りに対する”死”の恐怖に気持ちが震えました。

次に冒頭に書いた”デッドプール”演出の子供アニメ的デフォルメ。
これはネタバレ案件ですのでいったん止めますが、終盤で第4の壁とそれを遮る瞬間に、虚構と現実が交わる”トライライト”のような演出に震えました。

そして”カンフーアクション”への可能性。
プリキュアのバトルは醍醐味でありますゆえに、今回CGアクションの進化とともにカンフーアクションやシラットアクション、そしてアベンジャーズ的な複合型多人数アクションにおいてのカメラワークやスローモーション演出の追加射撃ば今後さらに可能になるであろうという可能性に期待感が芽生えました。

最後は”抱きしめたい・抱きしめられたい”
子→親、親→子の”抱きしめる”という行為に対しての体温を纏った温かさが泣けるんです。きっと私はプリキュアにたして希望と強さを託していて、つらいときに彼女たちの純粋で健気で屈託のない決意に抱かれているんだと思います。第4の壁の向こう側の観客側に向けて投影要員のサクラが孤独を悲しむシーンでの彼女たちの温かさがたまらなく涙と憧れと彼女たちへの愛情を掻き立てますし、この逆で親×友→子に注ぐ愛情・友情という抱きしめる演出、見る側からの大人が子を抱きしめるという愛情表現という視点も垣間見えウルウルきたわけです。

最終決戦でキュアホイップ(現主人公)が雨の中での孤高の闘いを強いられ、地べたに転がされ泥だらけにされるという場面があり、泥にまみれようとも、その屈託性が失われないという希望性に心が湧きたったわけであります。こんな彼女たちを抱きしめたいし抱きしめられたいという男アクションでは味わえない、異性キャラへのフェティズムも含め”プリキュア”としての存在意義が感じられたので満足であります。当然、オールスターイズムからは弱い演出でしたが、それ以上に”プリキュア”の希望性を感じられてうれしかったです。

「プリキュア・イズ・リローデッド」

そして何より「バトルシップ」的なお花見による打ち上げ演出での各キャラのポジショニングにウキウキしてしまいました。

キュアフローラことはるはるはやっぱり可愛いな~
ゼツボーグを遥か彼方にブン投げるシーンの凛々しさとキュートさの最高ランクの”プリキュア”性。

キュアミラクルの「クッ!」めっちゃハッキリ言ってしまう内なる暴走性を内に秘めた可愛さ。

キュアショコラのガチ勢のような・・・

キュアカスタードの孤独だったからこそのセリフの重さ。

「プリキュア・イズ・リローデッド」


今年もまたプリキュアを見るのであります。