てづか

軍旗はためく下にのてづかのレビュー・感想・評価

軍旗はためく下に(1972年製作の映画)
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観ている最中に、「この映画が大好きだ」と思って途方に暮れたように泣いてしまった。

何よりも、このどうしようもなく酷すぎる現実に対して、愚かしく救いようがなく正しさも間違いもなにも分からずも、ただただ「生きたい」という人間のあるがままの姿がそこにあったように感じたから。

人間の肉を食べたとして、世界は何も変わらない。ただ、自分が変わってしまうだけ。
そしてそうなってしまえば寺島のように時代の波に押し潰されて隅っこで罪悪感でいっぱいになりながらも己が恥ずかしくても生きていくしかないのだろうと思う。

社会は正しさを取り戻していく。
間違った自分だけが取り残される。

戦中ではなく戦後のその空気感の伝わり方や寺島の孤独感にも感動したけど。
なによりそれでも生きていくしかない、生きたいというどうしようもない気持ちが自分にもあるというのがその一連のシークエンスを観てよく分かった。

私たち人間というものは、容易に他人を見捨てられるし、安易に楽な方向へ行ってしまうし、嘘もつくし、裏切りもするし、純粋な思いがあったとしても選択を間違えることだって多分にある。それに対して後悔や罪悪感を持つこともあれば、開き直って「仕方がなかったんですよ」と微笑むことだってできてしまう。

そしてそうしてきた人がいることには目をつぶったまま、戦争というものを美談仕立てにして英霊として祀りあげてハイ終わり、にもしてしまえる。

天皇陛下に花を添えられたからといって、誰が救われる?
国に捨てられ殺された人間が、どうやって救われる?

どうあったって、誰も救われやしないのだけど。

それでも、そういう現実から目をそらさないという深作欣二監督の作品づくりには心の底からの安心感のようなものすら感じた。
だからそれが、涙という形をもって溢れ出たのだと思う。

戦場で頼りになりすぎる丹波哲郎も物凄くカッコよかったけど、三谷昇の出るシーンがどれも良かったなと思う。

敵は味方のうちにあって、そして更に己の中にもある。そういう誰しもにある人間としての弱さや汚さ醜さからも目を背けずに戦い続けた人のみが自分で自分を救えるのかなとも思うけど、それほど難しいことはない。

いまのコロナ禍であったり、なにかと色々なものが移り変わっていく時代の中にあって、自分にとって大事なものはなにか?

周囲の空気でなあなあにされることなく、均されることもなく、大事だと思いたいものはなにか?

それはきっと、2人ですごした最後の夜であったり娘との写真であったり海に抱かれる主人公のどうしようもないほど強い情念であったりするのだと思う。

形は違くとも、私にとってもそういうものがあるはず。だからせめてそこには誠実でいたい。
なかなか思うように大事な人たちを大事にできないからこそ、余計にそう思う。

人からの言葉を借りるが、この目まぐるしい毎日という戦いの中で忙しさにかまけて忘れてしまうことのなかに大事なことがある。ということだけはせっかくこういう映画を映画館で観る機会があったのだから、それだけでも忘れないようにしなければと思った。
てづか

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