SatoshiFujiwara

顔のSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

(2013年製作の映画)
4.2
名前だけは知っていたグスタボ・フォンタンをようやく観たが、これはちょっと独特の感触だ。「フィクションとドキュメンタリーといった区分けを無効化し、これらが渾然一体となって…」との言説はちょっとメタ構造を孕む作品を説明するには紋切り型の謳い文句にすらなっている感があるが、本作はそんなもんじゃない。

1人の男がボートに乗ってパラナ川の浮島にやって来るのだが、映画はその間に島で繰り広げられる男と地元民の何の変哲もない日々の生活、自然の光景、音を捉える。そして男は最後には去って行く。言葉にすればただそれだけだ。

これらは8ミリと16ミリ(双方モノクロ)をアトランダムに混合した上で荒い粒子を基調としたデジタル処理がなされているのだが、これが現実世界を極めて抽象的かつ断片的なイメージの乱反射として観客の脳内に立ち上がらせるのがエモいとしか言いようがない。敢えて言ってしまえばメカス+ブラッケージ+ケネス・アンガーにルノワールの詩が微量にとけこんだ、といったところか(説明になってんのか笑)。しかしそれらの作家の誰とも違う。

セリフは全くなく地元民の話す声がたまに聴こえてくるが、それは意味を形成しない単なる即物的な「音響」としてしか扱われない。そして本作ではその音響の生々しさが猛烈で、同時録音ではない気がするが、とは言っても明らかに画面と完璧にシンクロしてもいる。で、音がやたらと突出しているのが明らかに普通の意味でのバランスを欠いている。まるで音だけが別次元から「現前」しているかの如く。この処理について監督に訊いてみたいものた。

画面に映っているものはたいていは一応判別できるし、聴こえてくる音それ自体はありふれた日常音なんだが、にもかかわらず観客は異質な世界に連れ去られる、という何だかよく分らぬ体験をさせられることとなる。物質性と言うか粒立ちと言うか、そういうものが剥き出しに露呈している。そして、ほとんどそれのみで映画を成立させちまっているのが凄い。とりあえず、boidは爆音上映を真剣に検討して欲しい(笑)。
SatoshiFujiwara

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